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2009年01月09日

宮古島市はこのままでいいのでしょうか?

生き物たちであふれていた、あの美しい森や沼や海や砂浜はもう二度と戻って来ないのでしょうか?人々が助け合って仲良く暮らした島は、もう二度と戻って来ないのでしょうか?







 私は、終戦の年の1945年(昭和20年)6月17日に台湾省台南市の旗山(キザン)という山の中で生まれました。




 母は私を産んだ後、病いがちで私は生まれてすぐに母の姉(はつおばさん)に預けられたそうです。



 父と母の故郷、宮古島に帰郷したのはその年の冬で、当時平良町内では疫病が流行っており、私たちは半年余りもパイナガマに隔離されました。

手持ちの食糧も無く、アザミの根や野草を食べて暮らしたようですが、私はそこで初めて歩いたそうです。


そのせいか、もの心ついた頃から近所のお兄さんたちにくっついて、毎日のようにパイナガマで遊んでいました。



小学校に上がっても、悪天候の日以外は、ほとんど毎日のようにパイナガマで遊び、それは6年生の2学期に沖縄本島のコザ市(現沖縄市)に移住するまで続いた本当に楽しい思い出です。





 毎日のようにパイナガマに行くのは、

鬱蒼(うっそう)としたアダンとヤラブの森が、まるでジャングルのように広がり、砂丘のような砂浜の砂は白くてサラサラと細やかで、一面に浜昼顔のツタカズラの薄紅色の花が咲き乱れ、海は透き通って色とりどりの熱帯魚であふれている、楽園だったからです。




それはそれは、本当に美しくてまるで最後の楽園のようでした。






もうひとつの理由は、

家での食事は芋に一菜一汁程度の貧しい食事で、食べ盛りとしては量も足らず、パイナガマに行けば浜昼顔のカズラを束にして、ちびっ子全員で腰の深さから砂浜に向かってバタバタと音を立てて魚を追い込めば充分に全員分の魚が獲れて、それを焚き火で焼いて食べられたからです。




サトウキビは毎日のように食べれたし、芋も時々、久松のオジーの畑から失敬して蒸し焼き芋にして食べました。


(オジー、オバー、ごめんなさい。)







生まれてすぐに預けられましたので母乳は知らず、はつおばさんは独身で乳が出ませんので、私は1ヶ月に1回程度ヤギ乳を貰って飲む程度だったそうですから、乳児の頃は栄養不良だったと思います。





それを補って人並み以上に育ててくれたのが、パイナガマの大自然なのです。






当時の宮古島はいたる所、どこも同じように食糧品は足りず、経済的には厳しかったと思います。


しかし、宮古島の自然の恵みにより子供たちは皆、スクスクと育ったのです。





宮古島中いたる所に森があり、小山があり、ミズヌンアブがあり、沼やため池があり、小さな小川さえありました。





では

いろいろな小鳥がさえずり、水辺には水鳥が遊び、秋にはサシバの群れが太陽の光を遮り、空を暗くして地上を影にしました。


この時期だけは子供たちはサシバで遊び、滅多に無い肉料理にありつけたものです。ちなみに、チビた下駄を錘にして、サシバの飛ばし競争をして遊びましたが、タリカスミーは駄目でキンミーが逞しく良く飛んだものです。


今では、激減して国際保護鳥のサシバですが、戦後の宮古島の子供たちを育て、東南アジアの人々を育てた救世主だったのです。


(ありがとう。サシバさん。)





では、

ザウカニや野いちご、小山ではポーなど、野生の木の実、草の実の美味しかった事も忘れられません。






砂浜では、

足下を少し掘れば、貝がザクザク獲れ、磯ではシャコ貝やサザエやウニさえも欲しいだけ獲れました。




漲水の桟橋でも魚は入れ食い、宮古中の磯や岸辺はどこでも釣りのポイントだったのです。下地の入り江と与那覇湾はガサミとワタリガニの宝庫であり、大浦湾は貝の宝庫でどちらも魚があふれていました。


大浦から狩俣までの海岸線は前浜よりも真っ白で長い美しい砂浜でした。モズクも天然のモズクが生い茂り、スキで採って馬車で運び、畑の肥料にする程でした。




また、漲水の坂道を美しい赤い枝珊瑚を山積みした馬車が通り、ポロポロ落ちた珊瑚を子供たちは拾って家に持ち帰りました。



平良市内のどこの家にも美しい赤い枝珊瑚が床の間に飾られていたものです。今ならあの馬車で運んでいた珊瑚は数百億円の価値があったと思います。








皆貧乏でしたけど、宮古島は本当に豊かで美しい自然に恵まれた楽園の島でした。そして、皆仲良く助け合って暮らしていました。







昭和35年頃の日本内地の高度経済成長の波は宮古島にも徐々に押し寄せ、合成洗剤の時代となり、農業では化学肥料と農薬が使われるようになりました。



宮古島の商店街には輸入された食糧品があふれ、あらゆる商品が増え続けました。



私たちの生活も経済的には徐々に豊かになり、裸足の子供たちもいなくなりました。市内には水道も普及し、電気も灯りました。

でも、まだ水道の水は飲み水や煮炊きに使い、掃除や洗濯の水は遠くの井戸から汲んでいました。


電気もギリギリ暗くなるまでは点けず、早寝早起きで電気料を節約していました。










昭和46年(1971年)の本土復帰により時代も環境も激変していきます。




それは、私が26歳の時ですが、私も復帰直後に結婚し私自身にも大きな変化が訪れるわけです。




宮古島にも日本政府よりの地方交付金、公共工事補助金が年々加算増額されて行きます。それに伴い土木建築業は増え続け、関連する業者も増え続けます。



いわゆる、コンクリート行政の始まりです。





家々がコンクリート建てになり、台風への耐風化が進んだ事は良かったのですが、ほとんどすべての防風林はなぎ倒され、防波堤が築かれ宮古島中を取り囲んでいきます。

更に沖合いには、消波提が次々と築かれて潮の流れを変え、景観を見苦しくして、浜や入り江や湾を澱ませ、砂を堅くしていきます。


道路もコンクリートとアスファルトで舗装され、側溝も石積みからコンクリートのU字溝へと変り、汚染された家庭排水も農薬も化学肥料も海へと流れ込みます。







復帰後から37年間、このように森はなぎ倒され、山は削られ、沼も埋められ、ウタキの森さえもやせ細り、土地改良区の美名のもとで海岸線ギリギリまでサトウキビと煙草の畑が広げられ、多くの鳥や虫たちは激減し死に絶えようとしています。





 まさに「沈黙の春」を宮古島は迎えようとしているのです。








鳥も蝉も蛍もトンボもゲンゴロウも水スマシもタニシも蛙もメダカも魚も貝もエビもカニもシャコ貝もサザエもあの可憐に群れ遊んでいた色とりどりの熱帯魚たちもタコもイカも磯の小動物たちも死に絶えた島、「宮古島」で私たちは何を夢見て、何に希望を抱いて、何を目指して生きていくのでしょうか?





あのキラメクような島、自然の恵みであふれていた美しい豊饒(ほうじょう)の島は既にもうありません。




人間だけあふれて、化学製品に囲まれ、輸入品に身を包み、輸入した食品を食べ、これらの品々を手に入れる為に争っているだけです。







すべての生き物たちが減り続ける中で、ペットだけが増え続けているのは皮肉なものですネ。


しかも、犬たちは我が家の庭でさえもヒモで繋がれねばならず、家に閉じ込められ遊び場は無く、一生走る事さえ出来ないのです。無駄な公園や不良のたまり場の公園はあちらこちらに次々に造られ、掃除や管理が大変だと迷惑がられているのに、犬たちが自由に走り回れる場所は皆無です。







無駄な公園、もしくはその一部でもペットたちに開放してこそ行政のおっしゃる自然との調和、すべての生命、生物との共存のほんのさわり程度にはなると思うのですが、いかがなものでしょうか?








コンクリート行政、土地改良事業etc…で自然環境を壊し続け、汚し続けてすべての議員も行政も市長も又、市長立候補者たちも「自然環境を守る」とおっしゃいます。





誰の為に自然環境を守るのですか?



「未来の子供たちの為に!」



…嘘でしょう!?







人間以外のすべての生命、生物、そして植物さえも死に絶えさせて、どこに「美しい自然」があるのですか?






子供たちに残されるのは、沈黙の御嶽であり、汚染された畑であり、汚染された水であり、汚染された海だけです。






人間だけあふれて、キビの穂だけが一面に広がり、煙草畑でお百姓さんが農薬を撒いている、将来に希望のない沈黙の島、汚染された島が残されるだけです。




防風林の変わりにコンクリートの堤防が島を取り囲み、側溝も道路もすべてコンクリート化、アスファルト化され、昔のナウサ道のように埃も立たず、石積みや土のドブのように、コケも藻も水草も生えず、水スマシやゲンゴロウの昆虫もいない「一見清潔」な人工的な環境が残されるだけです。







これまでの行政がやって来た事は「市民生活の向上の為」と言われて来ました。



しかし、果たしてそうでしょうか?





魚の産卵場の磯を埋め立て、港をすべて大拡張し、大量のコンクリートをこれでもか、これでもかと使い続けただけではないのでしょうか。




本当に「市民生活の向上の為」なのでしょうか。


環境を守ったのでしょうか?



市長や権力者や土建業者や関連業者の利権の為ではない!と断言できるのでしょうか?








 ヨーク考えてみて下さい。






これまで宮古島を牛耳ってきた大物の顔ぶれを思い浮かべてみて下さい。



大物は大体土建業者であり、彼らが支援する政治家です。フィクサーである大物たちに牛耳られ、操られて来たのは誰でしょうか?







 保守系土建業者と組んだ市長、議員、行政であり、革新系土建業者と組んだ市長、議員、行政です。





ようするに反自公だ、反保守系だ、という元校長先生や医者や労働組合やリベラル女性軍団も政治的にはすべて革新系土建業者がバックには控えており、手を組んでいるのです。






 しかし、彼らはインテリであり、庶民の味方であり、平和と人権と環境を守る良心的な種族としての誇りがありますので、絶対にそれを認めようとしません。

絶対的に彼らは正しくなければならないのです。市をボロボロにしても一切彼らに責任は無く、決して認めません。






 恐らく、

人間以外のすべての生物や植物が絶滅して土も水も海も汚染されても彼らは「私たちは必死にそれを守ろうとして、革新市長、革新県議、革新議員を立てて戦って来た!」と言うのでしょう。






 保守系の人間は「商売人」であり、「企業経営者」であり、金儲けの為なら手段を選ばない輩だ!と思っているのです

(まぁ、大体はそうですがネ)







 しかし、「私たちは違う!」とおっしゃいますが、果たして本当に革新は違うのでしょうか?





 …という事を折に触れて、

私はブログで書いたり、新聞投稿したりしますので嫌われるわけです。
「居酒屋のシャクガマが何をエラそうに!」とあちらこちらで陰口を叩かれているそうです。





 勿論、私は偉人でも聖人君子でもありませんので、完璧なる正義の味方とは言えません。




しかし少なくとも、これまでの政治のリーダーたちのように市民の税金を食い物にする気もないし、した事もありません。保守に対しても、革新に対しても「市民の立場」で是は是、非は非と言っているだけです。






 時には批判が過激すぎるとの注告はある程度認めますし、時には適性不充分な市長候補者を応援した事もあります。候補者の中から消去法で誰かを市長に選ばなければなりませんので、やむを得ない事もあるわけです。






 しかし、これまでの15年間の不況どころではない、100年に一度とさえ言われる世界同時不況に突入し、大恐慌さえ危惧されている中宮古島市は市民への説明責任も無い、議会の承認さえ無い、入札も無い「密室談合的」数々の不正な契約や、やってもいない工事代金をそれも4千数百万円も業者に支払う、というまさに業務上横領とも詐欺とも言える大事件を起こしました。











市の議長と業者が逮捕され、ついには伊良部支所の所長(昔なら町長です)までも業務上横領罪で逮捕されました。








 この事件では国から7千数百万円を返還するように請求されており、伊志嶺市長「市民には一切負担をかけない」と断言しました。



という事は御自身の責任において支払うという事です。




しかし、

結果は全額市の予算、税金で支払う事になり、不思議な事に議会がそれを認めています。






 市民の立場で見れば、市長の行為は「市長を辞めればすべてチャラになる」と言わんばかりですが、そんな馬鹿げた理屈に納得する市民はいません。



「市民に負担はかけない」と断言し公表したからには、約束を守る事が責任を果たす事だし、辞めて済むものではない筈です。





 まして、これまでの15年間高給を貰い、年に2回ボーナスを貰い、平良市長としての三期12年間の退職金を貰っておりますので、貯えがたくさんある筈です。






 不正を働いた課長共々、まずはこの7千数百万円を一括弁済した上で業者に返済を迫るのが筋であり、責任を果たす事ではないでしょうか。







 議会も市長の約束責任を追及する立場でありながら、市民の為の貴重な税金を確たる理由も無いまま税金で支払う事を認めた事は職務怠慢であり、市民への詐害行為として、市長と同罪だと思います。








 このように、

現在も宮古島市行政と議会の網紀のタガは緩みっぱなしで、締める者は誰一人いません。



まずそれを厳しく指摘し、責任の所在を明確にして責任を取らせる事から始めなければ、宮古島市の改革は建て前倒れの絵空事であり、今後も同じ事が繰り返され宮古島市の行政システムは崩壊し市民も道連れにされる事でしょう。










 さて、

今回市長に立候補された方々の発言を聞きますと「私が変える!」「改革する」「市民生活を守る」ウンヌンの発言は皆おっしゃいますが、誰一人として過去の問題点、不正、不祥事をすべて再調査して、誰の責任かを明確にし、その責任を追及する「責任を取らせる」との発言が一切ありません。






何故でしょう?





当然です。
彼らには責任の追及など出来ないからです!






何故出来ないのか?




それは彼ら自身が従来型の候補者であり、従来通りに党派に推選や公認を頼み、組織や団体及び市会議員や業者を糾合して「勝てる選挙」を目指しているからです。


つまり、「宮古島市を守る」「市民を守る」想いよりも「市長になりたい」想いが強いのではないでしょうか。








要するに、まず「勝つ事」「勝てる候補者になる事」が彼らにとっての第一関門なのです。


分かり易く言えば、従来通り「勝つ為には手段を選ばず!」兎に角、大きな選挙活動組織を必死に作らねばならず、更に厳しく言えば「キレイ事では選挙に勝てない!」と考えているからです。








市会議員にせよ、業者にせよ、組織や団体にせよ、「協力をお願いし」「選挙活動に参加して貰い」「選挙資金」を提供して貰えば、当然当選した暁には見返りを要求されますし、又、与えざるを得ないでしょう。






つまり、彼らはもし「自分が市長になった時」に過去の市長と全く違う、従来型の行政のやり方を大改革して、公正公平にクリーンに行う事を表明し、断言する事は立候補を表明している段階で既に無理であり、不可能なのです。



もし

「違う!私は公平公正にやる!」と言うのでしたら、堂々と「過去の不正、不祥事をすべて糾明して責任の所在を明確にし、責任を取らせます!」と公約すべきであり、更に「私は支援者や業者への見返りを一切致しません!」「それを期待して応援される方や業者の皆さんの支援は一切受けません!」と、すぐに断言し公表すべきです。








私は断言します!



彼らでは宮古島市の改革は不可能です!




彼ら候補者の皆さんは個人的には能力もあり、知識も経験も豊かなひとかどの人物ばかりだと思います。


しかし、5万5千市民の現状を心から憂い、子供たちの未来を守り、宮古島市民すべての安全と幸福と平和を守る為に私利私欲を捨て、例えズタズタに傷ついても、一歩も引かずに改革を行い、例えどんな犠牲、代償を払ってでも最後まで市民の未来の為に戦う!」との覚悟が全く私には見えないからです。



見えているのはただ、「私は市長になりたい!」との個人的な望みだけです。





私は不思議でたまりません。




「自公推選」「革新統一候補」「21世紀新風会」「労組推選」etc…などの選挙事務所に群がるように集まっている市民の方々は「本当に彼らが良い市長になり、自分を犠牲にしてでも、市民の為に減私奉公する人物」と信じて集まっているのでしょうか?



ひょっとして、単なる義理と人情、利権やしがらみ…ではないのですか?







もしそうならば、「あなたの貴重な一票は無駄な一票になる」とは思わないのでしょうか?


だって、彼らには「本気で宮古島市行政を改革する」意志も意欲もないと私は思いますヨ。







仮にあったとしても、余りにも多くのしがらみがあり、クリーンな行政は不可能です。






あなたが宮古島を変えたい!と思うのならば、残念ながら彼らに貴重な一票を投票しても無駄なのです。

万一、そうなれば市民自身が子供たちの未来を奪っているのです。


「このままでいい」「別に誰がやっても同じだ」まして、「偉そうに言う中山誠には絶対票は入れない!」と思うのであれば、それは仕方の無い事です。



理屈抜きに嫌い、とか生理的に合わないという人もいると思いますので、それはやむを得ないと思いますが、「宮古島市の未来」だけは諦めないで下さい。








「のどの渇いていないロバを水辺まで連れて行く事は出来るが、水を飲ます事は出来ない」と言いますから、私がいくら「宮古島市民と子供たちの未来の為に、宮古島行政の大改革を実現しましょう!」と叫んでも、聞く耳を持たない人にとっては、馬耳東風であり、単なる犬の遠吠えにしか聞こえないのでしょう。




又、こんな話もよく聞きます。


「私は中山誠が大嫌いだ!」という人がいるそうです。





それで私が「その人は誰ですか」と聞いてみますと「○○さんがそう言っていた」と言うのです。



厄介な事に私は、その人とは一度も会った事もないし、見た事も話をした事もないのです。




勿論、私は下地米一元市長親子厳しい批判を続けてきました。

(大米建設そのものにではありませんヨ。大米給油所は時々利用しますし、大米建設さんにも仕事を依頼した事もあります)




そして、伊志嶺亮元市長にも厳しい批判を繰り返して来ました。





市会議員の皆さんへの批判も当然ありました。





ですから、私を嫌っている人も多い事はよく知っています。彼ら自身から悪口を言われるのは、当然だとさえ思っています。




しかし、見ず知らずの方々が「中山誠は嫌いだ!」とは…?




多分、私を嫌いだと言う人から「私の悪口を聞かされているのだろうな」と思うしかありません。








ただ、私は

「元陸軍少佐で沖縄県傷痍軍人会会長で沖縄県傷害者技術訓練センター所長」で生涯、弱い立場の人に尽くした優しい父、中山勇吉から「悪い嘘は絶対つくな」と「誠」の名前をつけて貰いました。

鬼のように厳しかった母、光子も本人は商売の天才でしたが、常に「金より心。品格だヨ」と私に教え続けました。

育ての親の「はつおばさん」は「人に優しくしなさい」といつも私に教えました。





私はもの心ついた頃から63歳になる今日まで、その教えを守り続けようと考えてきました。




だから、「人を悪用する人」「人を傷つける人」「正義感のない人」には異常に「厳しい」事は事実です。






「白は白、黒は黒」「是は是、非は非」といつも明確ですから、当然嫌われる事もあります。








また、中山グループは

19年前に片道切符で無一文で宮古島に帰って来た私が、17年前に創業しましたが、当初から私は社員、従業員には「現実は厳しく見つめ、理想は高く持て!」と指導しておりますので、「世の中、甘くないから勝てば官軍だ」とか、「長い物には巻かれろ、寄らば大樹の陰」と言うタイプもあまり好きではありませんので、そう言う人には結構厳しく対応しますのでやっぱり嫌われます。









ちなみに「中山グループは、

17年前創業の最初から利益の

「25%は可哀想な人の為に使う」

「25%は従業員に還元する」

「25%は株主に配当する」

「25%は企業の成長の為に使う」

と決め、従業員にも公表して来ております。







そして、将来的には社員持株制にして「社員によるグループ経営にする」と断言して来ました。






私と妻には子供がいませんから、私は無一文から起こした「中山グループ」の目的は「社会奉仕」であり、「出来るだけ多くの社員を育て」可能な限り企業を大きくして「社員に譲る」事を目的として今日まで頑張って参りました。




そして、

この1年間は新しい株式会社を三社設立し、更に「宮古島市の経済発展の為に」寄与しようと頑張っている最中です。







しかし、余りにもひどい宮古島市行政は、今まさに崩壊寸前だと、常々警鐘を鳴らし続けて参りましたが、今回「数々の不祥事の責任を取って辞任した」伊志嶺元市長の辞任により次期市長選挙に立候補した皆さんと、選考委員会のあり方、選挙戦のやり方には全く、納得出来ませんので私も立候補を決意しました。






本来、

私自身も大切な仕事があり、今が正念場の大事な時期ではありますが、「個人の事業と宮古島市の未来を天秤にかければ、どちらが重いかは自明の理」であり、今「私が決断しなければ、宮古島市に未来は無い!」と真剣に考えたからです。






誰が次期市長になっても困難な仕事が待っています。

はっきり申し上げて最悪な状態の宮古島市を建て直すのは「不可能に近いぐらいの困難な仕事」であり、「神頼み」が必要なくらいです。

ですから、本音では私はやりたくはありません。

今「市長になりたい人」は「頭がおかしい人」か「利権を狙う人」か「ただ市長になりたいだけの人」だと思います。





つまり、

私は「頭のおかしい人」なのです。





過去何10年も、利権がはびこり、不正が行われ、不祥事が繰り返されて来た魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界を変えられるのは「天才か勇者か、頭のおかしい人」だけだ。



つまり、「普通の人」に今の宮古島市を変える事は不可能だと私は思います。




 そして、私は一人で戦おうと決めた「頭のおかしい人」です。




でも、「市民の市民の為の市民による政治」を目指し、多くの心ある市民がバックにはいる、と信じております。

私はたった一人ですが、私は市民の皆さんの「市民党」がついていると信じて戦います。








さて、

市民の皆様、

宮古島市は「このままでいいのですか?」

「変えた方がいいのですか?」







私は断固として変えます!






自然環境も守るのではなく、昔の美しい宮古島の島々を蘇生させます。


すべての生き物が生き生きと活動していた美しい森と沼と海を蘇らせます。







しかし、決めるのは市民の皆様であり、あなたの貴重な一票です。


「宮古島市が変るのも変わらぬもあなた次第です」






つまり、宮古島市を変えるのは私ではなく市民の皆さんの総意であり、熱い想いだと思います。









最後に私の熱い想いを叫びます。



Change!We Can Change!
変えよう!我々は変われる!

We Have a Hope!
我々には希望がある!

We Have a Dream!
我々には夢がある!


中山 誠


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http://lastparadis.ti-da.net/t2495445
この記事へのコメント
宮古島市長選挙に立候補している中山氏に質問します。

宮古島市におけるマラソン大会についてです。

宮古島市には以下のマラソン大会があります。
・ワイドーマラソン(1月)
・伊良部島マラソン(2月)
・タートルマラソン(11月)
多良間村には
・多良間島一周マラソン(11月)

正式な大会名や実施月がわからなくて申し訳ないですが、
宮古島市、多良間村を含めるとこんなに多くのマラソン大会があります。
こんな多くのマラソン大会をしているのは、おそらく宮古島市だけでしょう。
なぜこんなに多くのマラソン大会をする必要があるのでしょうか。
市民の為ですか、観光の為ですか?
私には理解できません。
せめて、多良間村を除いたマラソン大会を一つにできないでしょうかね。
それぞれの大会の意義は違うと思いますが、一つにまとめて大きなマラソン大会を開催したほうがいいと思いますが。

また、これらのマラソン大会を含めてトライアスロンやツールド宮古もあり、年間の半分はスポーツイベントだらけになってしまいます。
こんなに多くのスポーツイベントを組むのはなぜでしょうかね。
これらのスポーツイベントの予算はどこから出ていますか。

今回の市長選挙に立候補している方々から、誰一人として、スポーツイベントの改革の触れている人がいなかったのは残念です。
行政改革も大事です。でも、スポーツイベントの改革も行政主導で進めて欲しいです。
いずれにせよ、避けられない問題だと思いますけどね。
真のスポーツアイランドを目指すためには。

是非、中山氏の見解を聞いてみたいです。
Posted by 市民 at 2009年01月17日 00:55
何か質問をしたのが馬鹿みたいですね。幻滅しました。ブログを開設したのは自己主張だけのためですか?自己主張は新聞でもできますよ。同じような質問を他の候補者にもしてみました(ブログ開設者のみ)が、誰一人として耳を傾けてくれませんでした。選挙で忙しいのはわかりますが、ブログを開設した以上はコメントにも耳を傾けてください。
市政改革を訴えるのなら、ブログをもっと活用してください。
多分誰がやっても、市政改革は難しいでしょう。
私は、どの候補者にも今回の選挙は投票しません。
市民の意見を聞いてくれない人達に投票しても意味がないですから。
Posted by 市民 at 2009年01月24日 13:56
HPを拝見しました。

宮古島は、最高に良い所ですね。
私も2年間移住をしていました。

海は、驚く程美しいです、天然の水族館のようでした。
いつまでも、自然を大切にした宮古島でいて欲しいです。

近いうちに行きたいと思います。
現在は、那覇に住んでいます。

宮古島最高です。
Posted by ミュー at 2009年06月24日 14:06
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