想像の世界(1724)例え沖縄一の大企業にサンエーをした話でも、中々飛びつかんと思うのだ。

ま~ちゃん

2024年05月05日 07:00






最近のコートニー・バドウィンは、ちょっと太って丸顔になっちゃったので、俺はガッカリしている。

歌は今でもウマイが、やはりデブのロックスターじゃ、歌にまでちょっと影響があるのだ。

俺も一時83kgまで太って、”エッ、あの美少年の誠ねー”、などと、瀬名波よう子のガッカリした声を思い出すし、ま、美少年とは思った事は一度もなく、言われたこともないが、兎に角、中年太りは、やはりみんなをガッカリさせていたようで、30数年振りの、高校卒業からのパーティーでの、悪ガキのデブになった姿を見せるんじゃなかったなーと反省したもんだ。



おかげで再び73kgまでは、一応10kgの減量に成功したわけだが、中年になって太った体を痩せさせるのは、中々至難の業なのだ。

10年以上前に脳出血で倒れて、4〜5日も食事はとらず、その後も寝たきりで死んだようになっている状態が4〜5ヶ月は続いて、一時は50kgまで落ちたが、70歳近くなって高校生以下の体重になっても、当然、元の青春の日はもう戻らないわけで、その後蘇って50%、 60%と、数年かかって徐々に普通の人間に戻って、そして左手を使う練習と、記憶を取り戻す為に、日記を生まれて初めて書き始めたら、加持さんがブログにあげましょうかと言ってくれて、一応ティーダブログに上がったわけだ。



一度はランキングで一位にまでなった事はあるが、ま、一応、毎日こうして日々、毎朝の思いのつくままの日記ではあるが、20位以下にもなったり、5位ぐらいにぶり返したりと、上がり下がりはしているみたいで、直美がたまに順位を調べてくれて報告してくれるので、ふーんと俺はそれなりに関心はしているわけで、いつも加持さん自身は3位以内は保っているのは、流石加持さんと感心はしているわけだ。

といっても、青汁王子はフォロワー100万人を越えたと喜んでいたし、うーん、こちらは100人ぐらいで喜んでいたし、元々、いつか昔別れた子供たちが読んでくれないかなーとの願いで、今日まで10年近くも書き続けているわけで、おかげで記憶も字も思い出しているわけだ。



ま、小学に入学2日目で登校拒否して、それ以来二度と勉強はしないと、学校の授業は拒否して無視してきたし、ま、平良鉄彦などは毎日努力を続け、医者を真面目に今も続けているし、友情は今も続いている親友だが、俺はただでさえ勉強拒否の悪ガキだったが、ま、取り敢えず、小学生では一番で、中学では2番で、高校でも2番で鉄彦の目標だったのに、家出をして2ヶ月後に戻ってきた時には、もう元の成績には流石に戻らなかったわけで、ま、宮古高校では10位ぐらいになっていたんじゃないかな。

ま、それでも昭和大学薬学には合格したわけで、だから俺は大学までは、何もしなくても全ては簡単で、人間の勝負は、結局大学などまでは無視できる存在で、世間に出てからの20代中盤ぐらいからの勝負で、食っていけるかどうかの勝負が一番大事で、何をやったかが大切とは物の本でも教えているが、俺は幸福と思えるかどうかが大切な問題だと思うわけで、ま、人には無害に生きて、自分が幸せならそれで充分満足な人生だと思うわけだ。



ま、一応学校は俺にとっても役に立ったわけで、兎に角、勉強はわざわざしなくても、目から耳から知識が飛び込んでくるわけで、学校とはその程度のもので、俺なんか中学2年生では、もうダーウィンの進化論には否定的だったし、全ての学課の、全ての先生が普通以下の人物で、校長先生まで普通以下で、ま、その普通の人間の中に、筋の通った人がたまにいて、その人の生き方が、世間の陰で、俺には輝いて見えたもんだ。

進筋の通った生き方をしていればいいわけで、それ以外は全てアカンバと拒否して生きるのが、アカンバまーちゃんの俺の生き方ってわけだ。



ま、基本は筋の通った生き方だけど、50歳を越えた頃83kgになっていて、瀬名波よう子をガッカリさせたように、小禄栄子も、兼島とも子もガッカリしたかも知れないわけで、取り敢えず今は55kgを目指してはいるが、68kgまでは戻したわけで、今年は79歳になるわけで、取り敢えず髪も残っていて、68歳ぐらいには間違えられて大満足だが、古原亨も、気持ちは昔の青春のまんまで、昔の通りのまんまで嬉しかったが、流石に顔は歳をとったなーと、つくづく感心したもんで、髪はなくなりシミもだいぶ出来ていたし、腹は俺以上にボコっと出ていたし、うーん、亨がこれじゃあ、小林健一も大分変化しているだろうな。



何せ最後に会ってからは50年も過ぎるわけで、お互い今は老人になっているわけで、ま、気持ちはずっと青春のまんまってわけで、ま、俺にとっては直美はずっと21歳の女子大生ってわけだ。

ケラケラキャンキャンしている時の直美が相変わらず好きで、64歳で今年は65歳になり、老人の仲間入りをする直美にも、いつまでも青春のまんまでいて欲しいけど、ま、俺はとっくに後期高齢者だし、押しも押されぬ立派な老人にはなっているが、取り敢えず、目は2つとも相変わらず見開いて、いつも大自然を眺め回していて、青春のまんまで、ま、一般的には後期高齢者ともなれば、目はジョボショボして、だんだん細く、小さくなっていくので、俺はいつも目は見開いて、全てを眺め回しているわけだ。

さて、そろそろアルクラへ行く準備をしよう。



アルクラへ行って来た。

今日は加持さんが迎えてくれた。

リハビリは隆太で、今日も、よく日記を毎日書くネタがあるなーと言うので、気分で、ちょっとしたきっかけで、色々とあとは想像するわけだと言ったら、小説でも書いたらいいのにと言うので、あれだけひとつのテーマで1冊の物語を作る興味がないから、やっと自分の半生紀は纏めたので、年内には出版するつもりだと言ったら、アルクラにも1冊置いてくれと言うので、自慢話を書くつもりはなく、全て事実のまんまの半生紀だけど、結果的には大分自慢に見えるかも知れないぞと言った。

ま、誰か読むかは知らないので、1冊は贈呈してもいいな。



儲かったらアルクラにも寄付しろと言うので、取り敢えず、自費出版するつもりだから、儲かるどころか出費が100万円ぐらい出るよと言って苦笑いしたわけだ。

仮に青汁王子の三崎優太のような、フォロワーが100万人もおれば、つまらん本でも一流の出版社が出版してくれるが、うーん、俺の本じゃ、例え沖縄一の大企業にサンエーをした話でも、中々飛びつかんと思うのだ。

ま、YouTubeでせめて30万人ぐらいでもフォロワーがいれば、ま、10万部ぐらい出版出来るなら、出版社も飛びつくとは思うけどな。



ま、今でもサンエーは年商2,000億円で、沖縄一の企業だから、出版社が本気を出して売り出せば、沖縄だけでも10万部はいけると思うけどな。

さて、どう出るかはあなた次第ですってわけだ。

世の中、やる気次第で自費出版で細々とやるか、宣伝して大掛かりにやるかでは、1,000部も万部も違ってくるわけだ。



というわけで、今日のアルクラはルーティンは全部終わって、その上、歩行訓練はいつもより100mプラスの500m歩いたので、今はもうクタクタだ。

ま、間もなく昼寝もするし、アイスキャンデーも食べたし、その上、無茶苦茶ウマイせんべいの、それも得大のデカイ顔のお面のようなせんべいも食べたし、もう今日はクタクタの大満足で、花の金曜日はコレデオシマイ。

じゃあな。



2024年4月5日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…

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