Memories 9
思い出(9)-3/8
ある日運動場で遊んでいると、別のクラスのハンサムボーイで背もスラリとした勉強も優秀な仲宗根国夫が、高飛びでちょいとぶっていた。
1m80cmか、85cmを跳べるのは彼ぐらいの頃で、背面跳びだった。
ただ背面跳びは何重にもクッションを準備する。
それで僕は、”おい国夫、高跳び勝負しようか?”、と言うと、国夫はびっくりしたように、”マーちゃん、跳べるのか?”、と言うのだ。
みんなもびっくりして、僕のスポーツしている姿なんて中学でも高校でも1度も見たことないので本当にびっくりしているのだ。
それで僕はグラウンドに行くと、皆ぞろぞろついてくる。
勿論国夫は自信満々だ。
僕は高跳びを固いグラウンドに持ってきて、1m65mでほぼ僕の身長の高さにセットした。
国夫がけげんな顔をしているが、僕は平気な顔で、”さあ誰からやる、俺からやるか?”、と言うと、国夫は、”これじゃあ俺は跳べないじゃないか”、と言うのだ。
それで僕は、”何だ、お前はクッションがないと何も出来ないのか、役に立たない高跳びだな、世の中いつもクッションがあるとは限らないぞ、じゃあ今日の所は俺の勝ちだな”、と言ったら手を叩く奴も多く、何もせず僕が勝った形で終わったのだった。
ちなみに当時僕は、正面跳びで1m65cmぐらいはいつでも跳べる自身があったのだ。
やり投げでも1歳年上の、”左利きせいいち”、とか言う奴が学年1でいばっていたので、”ちょっと俺にも教えろ”、と言うと、”いいか見ておけよ”、と言って走ってくると思い切り投げた。
やりはきれいな弧を描いて飛んで言って、ちょうどグラウンドを横断した形の越えたあたりに突き刺さった。
僕は真似してみたが、2、3度やってもやりがビンビンふるえてグラウンドの真ん中に落ちるのだ。
要するに彼の半分ぐらいしか投げられないので、”せいいちもう1回投げてみせろ”、と言うと、”ちゃんと練習しなければ無駄だけどな”、と言いながらもやって見せた。
またきれいな弧を描いて飛んで行った。
”ふーん、分かった”、と行って僕は今度は走って来ると、ジャンプしながら胸をそらせて思いっきり投げた。
やりはきれいな弧を描いて飛んで行って、せいいちのやりから1mぐらい後ろにささった。
それで僕は、”なる程ちゃんと練習すれば、あと5mは投げれるな”、と嘘ぶいたのだった。
その後せいいちが自慢しているかどうかは知らない。
体育のテストで50m走があった。
学校の選手たちは皆格好いい短パンに、スパイク姿だ。
僕は普通の体育着に裸足だ。
結局記録は僕がトップだった。
ただ流石に選手は強いことは間違いなかった。
選手のカイロウが、”マーちゃん100mで勝負しよう”、と言うのでやった。
50mまでは僕が勝っていたけど60mあたりで並ばれると、あとはどんどん差をつけられ100mでは2mぐらいの差はあったと思う。
”うーん、やっぱり選手の後半の加速はすごいね”、とその後もカイロウには一目おいた。
僕はスポーツは何でもひと通りこなした。
でも勉強同様まったく興味がなかった。
今でもプロ野球などに夢中の人を見ると不思議な気がする。
中学でも高校でも放課後残って一生懸命練習しているクラブ活動やら色々な部のみんなの活動は、僕には不思議な世界だった。
まして生徒会活動なんて、今の政治の世界を見るようで不思議だった。
僕があこがれたのはアフリカであり、タヒチやブラジル、メキシコで、それ以外はただ眺めるだけの存在だった。