Memories 9
思い出(9)-7/8
そのまま暗い中で2〜3日寝ていたがはっきりとは分からない。
その内ガラッと戸が開く音がして明るくなると、若い警官がびっくりして、”おい、どうしたんだ”、と言う。
寝たままの格好で、”台風の夜から泊めてもらってます”、と言うと、”ずっといたのか、飯は食ったか”、と言うので、”いいえ”、と言うと、”ほら”、と25セントを投げてくれた。
25セントはころがって窓の近くに行ったが、”これで何か食べてこい”、と言うので喜んで起き上がるとドタッと倒れた。
台風の数日前から飯は食ってなかったし、もう5〜6日食ってなくて2〜3日は寝たっきりだ。
体はかなり疲れていたのだ。
それで這うように窓辺の25セントまで行き拾うと、窓わくを掴んで立ち上がり、しばらく屈伸などで体を慣れさせてからパンとヨーグルトを買いに港の雑貨屋に行った。
10セントでパン1個とヨーグルトを買い、あと便箋と切手を買った。
パンを食べていると店のおばさんが不思議そうに、”あんた、どこから来たの”、と聞くので、”コザからさ”、と答えるとびっくりして色々と聞くので、だいたいの経緯を話すと同情したのか、”あんたウチの倉庫に部屋があるけど泊まるねー”、と言うので、”うん”、と言うと、配達の20歳ぐらいの男の人に案内させると言うので、急いで警察署に戻りナップザッックを取って来た。
倉庫の部屋は間仕切りもないガランとした部屋だったが、水道もありトイレもあった。
早速、息勇に彼と別れた後今は石垣市にいるが、台湾に渡れなかったことを書いて出した。
それから夜になると、店の高校2年生か1年生の女の子が、男の店員と一緒にいなり寿司やパンやら飲み物やらどっさり持って来て数時間遊んで帰った。
彼らは毎晩来て、おいしいものはいっぱいあるし楽しい日を過ごしていたが、流石に3〜4日すると、やはり宮古島まで戻ろうと思った。
彼ら2人とおばさんに別れを告げ船に乗った。
その為の用心で1ドル50セントは食にも一切使わなかったのだ。
宮古島の港に着くと父が笑顔で待っているではないか。
飛行機で僕を探しに八重山まで行き、港で僕らしい若者が船で宮古島に渡ったと聞き、すぐとんぼ帰りで宮古島行きの飛行機に乗ったというのだ。