Memories 5-1/5 宮古島のことも、なつかしい友や、ハツおばさんの事もケロリと忘れてチビちゃんと話をした。

Memories 5-1/5  宮古島のことも、なつかしい友や、ハツおばさんの事もケロリと忘れてチビちゃんと話をした。

Memories 5



思い出(5)-1/5



珊瑚を山のように積み、ぽろぽろこぼしながら、何度も立ちどまり、たたかれ、あえぎながら登った、馬たちの涙が染み込んだ、漲水桟橋に、たくさんの友を残して、僕も涙で旅立った。



ナウサの白い、つらい坂は漲水の小さな桟橋にすぐ目の前でつながり、そこからはすぐにポー崎の浜があったのに、そして桟橋を西に行けば、布干し堂の小っぽけな港があり、そこから西に行けば、あの美しいパイナガマでは、熱帯魚たちがたくさん群れて、遊んでおり、ヤラブの森が広がっていた、なつかしい、やさしい宮古島は、やがて陽も沈み、見えなくなった。



あの頃の僕からすれば、100tも越えたら巨大船だった、客船と言う名の船に揺られて、翌日の7時頃、多分13〜14時間後には、那覇の泊の港だった。

そしてそこから十貫寺のシキンバ(試験場)と言う屋号の母の、母と兄のいる家に行き、はじめて見た那覇の美女が、けい子姉さんと言う中学3年生ぐらいの姉さんだった。



6年生の夏休みに初めて年上の人を可愛いとか、きれいとか思った最初の人だったのだ。

また、白髪の上品なおばあちゃんが、母のお母さんと知り、何となく母が美しい意味が分かったような気がしたのだ。

そこで数時間過ごし、お昼頃にはコザ市(今の沖縄市)に向けてバスに乗った。



バスに乗るのも初めてで、アスファルトの大きな道も初めてで、行けども行けども家が続き、やがて米軍のヘリコプターの基地があり、広々とした芝生の美しいコンクリートの米軍住宅の、のびのびとしたたたずまいに目を見張り、外人とその子供達を見て、不思議の国に来たな、と感じているうちにコザ市諸見で、そこで我が家に行ったのだった。

諸見の我が家は、コンクリートの、僕が初めて住む立派な建物で、大きな道路に面して、中山テーラと大きく上の壁に書かれた店になっており、背広用のウーステッドなどと言う生地がいっぱい、反物で並んでいる店で、借家だった。



大きな道路は、飛行機の滑走路としても有事の際には使えるように作った道路に面しており、そこから下へと坂になっており、店の下は大家さんの家だった。

つまり表の道路側からすると、我が家は1階で、反対側に回ると大家が1階で我が家は2階になるわけだ。

そして、その我が家の下に住む新城さん一家には、4歳ぐらいの子がおり、不思議な言葉を使っていた。



新城のおじさんも、おばさんや他の家族も全員変な言葉を使う一家で、僕は早速そのチビちゃんに、指や目や鼻を指して、これは何?などと話しかけた。

するとそのチビちゃんは、指をユービ、鼻をパナ、目をミーなどと言うので、すぐになるほどこれが沖縄の言葉か、とすぐ分かった。

我が家では父も母も決して方言は使わず、いつも僕達は標準語だった。

また、西里通り、市場通り、下里通りの商店街の子供と親は皆標準語だったので、僕も宮古島の方言はまるで分からなかった。

それから夏休みの間中僕は、このおチビさんと毎日話の練習をしていた。

本当に、もう夢中で宮古島のことも、あのなつかしい友や、ハツおばさんの事もケロリと忘れてチビちゃんと話をした。



おかげで夏休みが終わり2学期が始まり、諸見小学校に転入した頃には、かなり沖縄の言葉も知っていた。

小さな南の島では勉強も一番だったが、僕からしたら大都会の沖縄のコザ市の諸見小学校は、多分頭のいい子もいっぱいいるだろうと思っていた。

だが、結構方言を使う子もいっぱいいて、なた標準語のなまりも割と強く、”まららよー”などと使うので、”え?”と思うと、”まだだよ”と言っているのだ。



一ヶ月程過ぎたある日、試験があった。

それまで来たばっかりの僕は、宮古島の平一小学校では級長だったが、何故諸見小学校でも級長なのか不思議だった。

試験はいつも、どれもみんな僕は100点で、比較的平一小学校よりも、問題は簡単にできているように感じた。

でも100点は、ほぼ僕だけで、1学期の級長だった優秀な子でも、2つや3つは常に間違っており、100点を取る子は珍しいことが、分かって来たのだ。

それで又、級長をさせられたと思った。



平一小学校に、いつも他校、それも沖縄からはるばる先生達が来る意味が、何となく分かって来た。

そう視察団だったのだ。

あとから分かったことだが、平一小学校は沖縄でも指折りの最優秀校だったのだ。

そこで中山誠と天才奥原典一の二人が、トップを争っていたわけだ。

つまり沖縄全部の小学校でのトップと言っても過言ではなかったわけだ。

でも勉強なんて大嫌いな僕には、まったくピンともしないことだった。



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