Diary 208 生きていれば何かが起きるなーと改めて思い知らされたのだった。
6907m、前人未到のヒマラヤの登山に初めて成功した人がいた。
ほとんど垂直の壁のような山を、しかもマイナス30度の凍った中で、風速80mのブリザードも吹いていたりと3日間も苦しめられた中、3回目の挑戦で初めて成功したようだ。
この成功した動画もあり、これは本当の見ものだと思う。
僕は、もし生まれ変われるならと考えることを想像したこともないし、生まれ変わろうとも思わないが、この青年にはなりたいとは思うなぁ。
もう世界中で真に感動する事はそう多くはないが、これには感動したね。
だけど、今まで誰も挑戦も無理だと諦めていた山に、2018年、戦後73年にもなる今成功したとは全く信じられないことだ。
世界にまだ挑戦する未踏の場所があったのだとは、信じられないことだった。
昔々、幼少期から高校生ぐらいまでは世界の未踏の地への憧れはとても強くあった。
高校3年の2学期の初日に家出して、アフリカのモロッコを目指した頃には、まだアフリカ大陸の全てが僕には未踏の地で、わずかにモロッコがそこへの入り口にも思えたのだった。
あの頃は、ヨーロッパはアメリカ以上に開けた文明の地で、わずかに海を隔てたモロッコに未開の大陸との接点があると思い、なんとなく悲しい、美しい思いに溢れているように感じられたのだ。
ペペルモコもカサブランカも、アルジェとかモロッコの話で、あの頃までは未踏の地はいっぱいあるように感じていたのだが、大学生になる頃にはもうあまり感じられず、まして大人になるに従いだんだん世の中の変化のスピードは呆れるほどで、それにつれて人の心の変わり様にも気づかされ、ますます憧れはなくなっていったのだった。
醜いものをたくさん知り、まして今は高校出たてホヤホヤの若者の詐欺師が続出して生まれる世の中だ。
そんなつまらん金が全てみたいな世の中に、あのような無謀と紙一重の死と背中合わせのすごい挑戦をする若者がいるのかと思うと本当に感動した。
10代までは感動することが多く、20代でも30代のもそこそこあったし、40代でも全くないわけでもなかった。
でも50代、60代、そして70代の今、感動はなくせいぜい夫婦間の思いや、子供たちへの思い、そして思い出の中での感動を懐かしむだけだったが、今日の出来事は、生きていれば何かが起きるなーと改めて思い知らされたのだった。
世の中には、限界への挑戦をする人はやはりいると言うことをつくづく知らされた日となり、気持ちは晴れ晴れとなった。
もちろん僕にはもう無理なことではあるが、限界に挑戦する人々に心からのエールを送りたいと思う。