Diary 220 天災なら諦めもつくが、人災ならちょっと許せないな。
今日は外出して買い物をし、外食もする予定だ。
天気は悪く小雨も降っているが、午後4時以降は雨は降らない予報だから大丈夫だろう。
外食はもう何度もやっているが、買い物は初めてなのでやはり嬉しいし、楽しみだ。
セニアカーをリースして、当初月で2800円と言うことで意外と安いなぁと思っていたら、1割負担と言うことで借りることにしたんだけど、来て最初の日の支払いで7800円位なので、びっくりしたら、その次からはすべて3割負担で、どうやら僕の月収はかなりいいらしいのだ。
5年余りも1円も持ったことがないので、さっぱりわからないが、10割負担にならとてもじゃないがセニアカーは大贅沢品と言うことになる。
なるほど、国はきっちり負担してくれるんだなと思う反面、なんとなく業者にうまくやられている感もあり、ちょっと複雑な心境だ。
もちろん、買ったほうがかなり安くはつくが、いろいろ手続きや事故のことなど考えると、リースは楽なのでそのまま借りることにした。
やはりセニアカーが有ると無いとでは行動範囲がかなり違う。
この2カ月間は試走も含めて、随分行動が広がっている。
思い出のパイナガマも3度も行って嬉しかったし、やはり面影はちゃんと残っているので昔を思い出している。
欲を言えば、せめて海の中だけでも昔のままの熱帯魚の群れる海に戻って欲しいけど、なぜ海の中まで変わったのだろうか。
台風でヤラブの森がかなりやられて、それこそ何百年に1度の被害だったが、その時からか、それとも防波堤ができたせいなのか原因を知りたいものだ。
天災か人災かによっては、意味がまるで違うもんな。
天災なら諦めもつくが、人災ならちょっと許せないな。
もっとも、ヤラブの森の無くなった後のパイナガマの横の道路は、諦めもつくし、かなり便利になったことも事実だもんね。
おかげでアルクラへの通勤も、楽な道なので今はセニアカーで通っている。
しかし、今考えても小学3年生のちびを家の母はよく久松まで商品を届けに行かせたもんだ。
あのでっかい配達用の自転車に、そうめんやメリケン粉を積んで通ったが、一度など3から4メートルある、当時としては崖みたいなところを転げ落ちて、またそれを上がるのに必死になったものだ。
帰ってきてからも一切そのことは言わない、僕の秘密だったけどね。
今思えば、当時久松でご苦労さんとかありがとうなんて言われたことも、飴玉一個もらったこともなかったな。
まぁ、当時はそれが普通で、僕も別に何も感じなかったし、だいぶ経ってサンエーでありがとうございますとか、いらっしゃいませの訓練をやった時、沖縄ではその習慣がなかったから、サンエーは逆に不思議な店として有名になったもんだ。
だから、僕がやったありがとうございますとか、いらっしゃいませが、本格的訓練としては沖縄第1号なんだけど、それを覚えている人も言う人もまるでいないもんね。
リウボウやデパート、つまり当時の三越デパートや山形屋百貨店すら、おざなりのスンとすました、エレベーターガールのいらっしゃいませなどが関の山で、強いて言えば糸満のおばさんの、"イユ、コーミソーレー"、魚を買ってください位が最上の言葉だったわけだ。
サンエーが急成長できた訳は、1番そこにあるのだけど、今や誰もそのことを知るものはいない。
こうして僕がボチボチとサンエーの歴史に触れるのも、残念ながら3年の歴史から完全に僕の名前が消し去られていることにもよるのだ。
折田喜作が、"真理の追求"、などと言い、サンエー創業者と言うのなら、せめて僕のことにもチラリとぐらいは触れてもいいと思うよ。
だって中山誠のいないサンエーなんて、味の落ちたブラックコーヒーみたいなもので、それも出来損ないのアメリカンな味だもんな。
節子も、そこんとこはきちんと哲誠にもジョージにも伝えなくちゃいけないな。
まぁ、もっとも今のサンエーはもうサンエーじゃないから、どうでもいいと言えばいいけどね。
風も出てきた。
午後4時半には出発したいが、一応可能な限り頑張るつもりだ。
今日はかなりの距離の遠征になるな。
今までの記録はアルクラまでで、時間は27分だ。
今日は50分ぐらいはかかるだろう。
いつかメイクマンまで行きたいな。
ちょっと花の担当者と会って話をしよう。
かねひでの横の花屋にも、いつか行ってみよう。
香りの良い花の植木で、仕入れできるものを調べてもらおう。
さて昼寝もしたし、まもなく出る準備でもしなきゃと思うが、今日は、暗い日曜日、ならぬ、暗い月曜日だが、楽しい月曜日なのだ。
毎週月曜日は外食の日で、今日はモスバーガーとチキンを食べることにし、その前にしまむらで、スラックスと上着と靴下などを買うことにした。
73歳で脳出血からの脱出のためのリハビリ中で、毎年従業員たちが誕生日にTシャツやアロハシャツなどいろいろプレゼントしてくれるので、ほとんどおしゃれはしないが、今年は冬ものは自分の好みを出せたらとも思ったわけだ。
しまむらなんて何十年ぶりで、しまむらの開店以来かと思うほどだが、昔はどうも沖縄や内地で売れないものの寄せ集めかとも思ったものだが、最近は芸能人も買い物に来るようなので、ちょっと期待している。
どっちにしろ73歳で酒もタバコもやらなければ、後は週1度の外出と年1度ぐらいはおしゃれをするしかない。
セニアカーも3割負担になったし、税金が以前一度やられて、自分の不手際で2800万円も取られることになり、必死に分割で支払ったものだ。
多分居酒屋など外食や飲み屋では、宮古ナンバーワンじゃないかなと思う。
何とか支払いを終えたが、そのために逆に資産は増やしたとは皮肉な結果となったものだ。
しかし、一度数億円に増やした資産を、今度はイオンタウンのおかげで3億円余りも減らすことになり、またまた必死に切り抜けて今やっと生き残り、脳出血の後は、妻の直美と従業員で守り抜いているわけだ。
なまじ僕はいないほうがいいみたいなので、もう浮き沈みはストップで、今は宮古島も日本全体がミニバブルのようで何とか切り抜けそうだ。
皆さん、無理はやめにしましょうね。
とは言う物の、ときにはちょっと無理も必要かもしれないから何とかやりくりして、少しは金も貯めておかないと、暗い人生になり全てがパーになるかもしれないな。
僕みたいにね。
まぁ、明るい僕に、明るい直美が加わったわけで、2人とものほほんとして毎日ルンルンでやってきたわけだ。
人生は楽しくなきゃつまんないけど、最近は皆楽しみ方がちょっと違うなー。
今一度考えたほうがいいんじゃないかなー。