想像の世界(11) もしもには何の効力もないが、みんなの生活を一変させたかもしれない事実が含まれているのだ。


想像の世界(11)   もしもには何の効力もないが、みんなの生活を一変させたかもしれない事実が含まれているのだ。



想像の世界(11) もしもには何の効力もないが、はみんなの生活を一変させたかもしれない事実が含まれているのだ。



僕が今、折田喜作のことをたびたび書くのには意味がある1つには、兄もすっかり忘れているようだが、たとえ一頃にせよ僕はすごい才能を発揮したわけで、兄もとても誇らしく思ったかもしれないが、それに続く倒産と、なににもましてその倒産で、とても苦労させられたにもかかわらず、またまた離婚騒動で節子に攻勢にあって、頭にきていたのは、感謝されてこそすれ何で責められるのは、誠のせいだあいつは自分勝手な奴だ、と思ったのだろうと思う。



そうすると、わずか1年半頃前の、あの苦労の日々が蘇ってきて、その以前の誠の能力と努力と成功は、全く見えなくなってしまったんだと思う。

もちろん、それでも僕は兄と公子姉さんの協力を忘れたことなどないし、これっぽっちも兄の怒りの気持ちに反旗を翻すつもりもなく、無理もないなと思って今まで何十年も黙って過ごしてきた。

おかげで今日まで兄や公子姉さんと仲良く暮らしているわけだが、もう僕も73歳で、しかも1度は死に直面した今も、それからの脱出に日々明け暮れている毎日なので、今昔のことも全て事実を書き残しておこうと思い立ったわけだ。



折田喜作の事は話半分も書いていないわけで、僕が協力したのはもっと大きいのだ。

つまり、折田喜作は実際死ぬまでに年商10億円売ってみたいなーと言うのが一生の夢と言っていたわけで、それもあの頃の彼の感労ではまず無理な事は、節子の夫の僕も全くその気はなく興味もなかったので、節子が離婚を言い出した時は、最初は何事かと呆れたぐらいで、折田喜作から僕と1年後にはサイパンにわたる許可もらってあると言う事は、節子にも当然話してあると思い、僕は従兄弟の栄良兄さんにもその旨伝えてあったわけで、その離婚話からではやむを得ない、興味のなかった商売だが、兎に角客を集めれば売り上げは上がるとの僕なりの簡単な理論で、客の喜ぶことを客の目先でどんどん実行したと言うのがサンエー発展の原点なのだ。



折田喜作には他人に店を任せると言う発想さえなく、それほど他人を信じられないわけで、サンエーでもいつも自分が金庫番をしていたわけで、自分がやらないときは常に妻の澄子に見せていたのだ。

だから運良く誠と節子が宮古を見るなと思ったところで、次は和子が結婚し、その彼氏ができるのを待ち、その次は富子と言う位の発想しかなかったわけで、だから死ぬまでに年商10億円を売ってみたいなーだったのだ。



それを僕に笑われたのが、まずこのやろうと僕に向かって腹を立てた原点でもあったけど、反面ホテルの件でも僕の発想を頼っていたのも間違いのない事実で、当初はむかっ腹を立てながらも、頼りにもしていたのもこれまた事実なのだ。

つまりポーチラ、マーちゃんは、母の光子譲りの商売の天才でもあったわけだ。

問題は本人は商売にも金にも興味がないことで、ただ折田喜作の夢に協力したついでに、結局サンエーの全琉制覇までは付き合っただけなのだ。



しかもサンエーを辞めた時は全く商売を辞めるつもりで、次は自分の夢のためにブラジルに渡ろうと段取り夢も進んでいたのに、退職金も全く駆け引きなしに、いらんと思っていたのが僕の本音なのに、金に執着がある折田喜作は、誠も駆け引きをしていると思ったのか、3000万円で喜ばないのには訳があるなと思ったのだろうが、僕はせいぜい300万円位が相場じゃないかと言っているのに、そんな金額だと自分が人からケチ臭いと言われると思ったのか、あまりにしつこくもっと本気で金額を言えとしつこいので、では年商70億円以上にもし、預金も5億円以上はあるはずだからと思ったので、今ある負債の半額の7億5000万円くれと言ったわけで、7億5000万円でも70億円企業を買うとしたら、30億円でも安い位だから、僕に支払うには決して高い金額でもなく、今サンエーが年商1700億円になっているので、もうそれは充分分証明されているわけだ。



僕は、もともとやりたかったわけでもない商売だから、それを辞めることにはこれっぽっちも執着はないし、まして恨むのは理由も見つからない。

だからサンエーの発展は嬉しいと思うだけだが、やはりそれをやっている人々が折田喜作しか思い出さないのはちょっと筋が違いますよ、と今サンエーの歴史のスタートの頃
の話を、今度は中山誠の目先で書き、上地哲誠の、折田喜作への忠誠心はなかなかよくできていると思うが、一度裏切りでクビになったのを、土下座して謝り許されて以来、死ぬまで守り通すのもなかなか良い忠誠心とは思うが、それは僕からすればちょっと違うな。



特に北野哲が生きていれば、彼も多分一度はサンエーの専務にまで上り詰めて、1度は上地哲誠の上司になった男だからな。

生きておれば、僕のメモリー、思い出でももう少し話を載せたかったな。

ひょっとすれば、もしかしたら、北野哲がサンエーの社長になれば、哲誠の出番はなかったかもしれないな。

上地哲誠にもジョージにも、折田喜作は良い時期に死んでくれたんじゃないかな。

もし今まで生きて元気だったら、哲誠もジョージもかなりきつい人生だったと思うよ。

もしかしてもはない、と言うが、本当に良かったな。



さぁそこでだ。

折田喜作の罪滅ぼしと思ってジョイフルをくれとは言わないし、改めて7億5000万円+今までの利子と思って年50%の40年分をくれとも、年商30億円と年商70億円とに最低年商900億円の利益7%の60億円× 40年分で2400億円くれとも言わないので、哲誠とジョージ、ここは大決断して中山誠に協力して宮古島に夢のユートピア最後の楽園を作ってみないか。

スタートはたったの5000万円で、その後も年に5000万円を数年続ければ良いのだよ。

サンエーでは創業者の折田喜作に悪いのなら、個人的に君らのポケットマネーでいいじゃないか。

どうせいつかは僕のブログをたくさんの人が見る日も来るだろうし、そうなれば決して悪い話でもないと思うよ。



僕1人でやるにはまだだいぶ年数もかかるだろうし、できないかもしれないので、1つここは君たちに提案しておく。

実行できたら哲誠が進めている、宮古飛行場の東に作ると言うショッピングモールよりは良い話になると思うよ。

又、君らと組めば台風対策も上手くいくと思うし、サンエー発祥の場所は、もともと中山誠がもらった場所なんだと言うことを、和子も富子も知っていることを改めて、ジョージはきちんとしてれば、何か行動起こす事は義務だと思うけどね。



もちろん哲誠にもその義務はつきまとうと思うよ。

と言うふうに、今や折田澄子にも、ジョージにも、哲誠にも、強いて言えば中山誠に折田喜作の代理人として詫びて、莫大な弁済をする義務があるが、これは法の下ではもちろん時効であるが、もとの折田喜作の義理の息子で、今の折田ジョージの義理の兄への気持ちとしては、時効では済まないものがあると思う。

節子にしても、公人、典久、裕子にしても、ジョイフルの場所がきちんと中山誠のものになっておれば、30億円企業の妻であり子供であったわけで、今とはちょっと立場は違う。

もしかすれば折田喜作と再び結成して、サンエーは5000億円にも、それ以上にもなっていたかもしれないのだ。

もしもには何の効力もないが、もしもにはみんなの生活を一変させたかもしれない事実が含まれているのだ。



もっとも今1番楽しく傍観者の立場で世間を眺め、宮古島を眺めている僕が、右半身不随で右半身が痛む毎日とは言え、楽しい立場であることも事実で、あと何年もつかはわからないが、目標はあと27年で100歳まで頑張るつもりなので、またジョージたちともみんなと会える日もあるだろうから、楽しみにして待っておこうと思う。



もしもと期待しているよ。



ジョージ、哲誠。



2018年10月12日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
https://kamosan.ti-da.net/e10459057.html




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