想像の世界(1028)みんなは小学入学で勉強を始めるわけだが、俺は小学入学で勉強を一切やめたのだ。


想像の世界(1028)みんなは小学入学で勉強を始めるわけだが、俺は小学入学で勉強を一切やめたのだ。



死んだら神様よーと目が覚めて、小学1年か2年に大国主の命の役をオグデン会館での発表会で演じた事を思い出したが、池村勝子が、”おじいさん、おじいさん”、と言ったのは、その時の誰の役だったのだろうか考えていた。

ま、そんな70年近い昔の事だから、もう記憶ははるか昔に飛んでしまっているわけだ。

小学入学2日目ぐらいで桜井ひろ子先生の理不尽な命令に会い、登校拒否したわけで、それから毎日、桜井ひろ子先生は俺の復学を頼みに来たわけだが、俺の第二の母のハツおばさんは苦笑いして、”まーちゃんがアカンバと言ったらもう無理だ”、と言うわけで、ひろ子先生はとうとう、”今後まーちゃんには絶対命令しないし怒らない”、と言うので、俺はそれなら復学してもいいとなったわけだが、その約束をいいことに勉強を一切やめたわけだ。



つまり、みんなは小学入学で勉強を始めるわけだが、俺は小学入学で勉強を一切やめたのだ。

ま、どうやら地頭が良かったらしく、目も耳もすこぶる良いので、ノートは取らないし教科書は開かなかったが、ウッカリミスをしない限り全部100点で、6年で沖縄へ転校するまで平一小学校でトップで、コザ市の諸見小学校に転入しても、勿論平一小学校より大分劣る諸見小学校では断トツで一位だ。

コザ中学校では高江州武男が猛烈な勉強家で、流石に奴には負けて二位で、コザ高では2年、3年と落ち続けて多分10位ぐらいだったと思うが、高校2年の全琉模試試験では、やはり武男に次いでコザ高では二位だったが、武男はダントツ一位で、全琉、つまり沖縄一だった。



ま、俺もかろうじて沖縄30何位かだったので、宮古高校では俺に勝ったのは奥原典一の沖縄県で二位だったわけだ。

つまり俺の周囲では、メキメキ優秀な奴が育っていたわけだ。

ちなみに典一は、宮古一の大病院を作って医者をしているが、沖縄一で典一と争った武男は東北大学の数学科に進学したが、あれほど猛勉強して沖縄一になったのに、東北大の数学科には奴より優秀な奴が大分いたらしくガッカリして、すぐに退学して兄と一緒にペンキ屋をしていたわけだ。



俺も25歳の頃、奴と一緒に半年ほどペンキ屋のバイトをやったが、よもやコザ校一位と二位がペンキだらけでペンキを塗っているとは誰一人思わないだろうなと思ったものだ。

25歳で海上自衛隊を除隊してすぐの頃の話だが、その後コザ校の同級生にしつこく誘われて、中学校の英語のテキストの録音テープのセットの販売のセールスマンを半年余りやったが、何せ得意だった英語の、しかも中学生バージョンの録音テープの販売だから、すぐに営業マントップに躍り出たわけで、つまり俺はその教材を徹底的に研究し、全部2日がかりで学び直して、ま、その道ではオーソリティーになってからセールスしたわけで、毎日英語の先生と歓迎され、おかげてその教材はすぐに売れたわけだ。



そして俺は毎日1セットが売れるとすぐ帰ったわけで、1セットと5ドルが俺の取り分で、それはペンキ屋のアルバイトの2日分ぐらいになったわけで、つまり1日1時間余り働いて、俺は1ヵ月130ドルぐらい稼いでいたわけで、それは土方が1ヵ月50ドル余りだった時代には高級取りで、毎晩中の町で飲み、遊んだものだ。

死んだら神様よーと目が覚めたけど、独身の頃のバイト生活を思い出していたが、結局集中すればすぐにトップになれるって話だ。

兎に角何でもやるからにはその道でトップを目指すわけで、商売でも俺はトップを目指して6年目でサンエーを沖縄一にしたわけだ。



ま、折田喜作の嫉妬がなければ、サンエーは今の年商2,000億円どこのか日本一になっていたかも知れないぞ。

ま、俺は沖縄一を置き土産にサッサとサンエーをやめたがね。

やめた後まで、折田喜作には恩を仇で返す騙し討ちにあって倒産させられたのが、俺の倒産の真相ってわけだ。

公仁も典久も裕子も、離婚は俺の浮気が原因だと思っているようだが、倒産も離婚もつまり折田喜作、君らのおじいちゃんの嫉妬と裏切りが原因で、逆に君らが受け継ぐ資産ウン10億円の基(もと)は、全部俺が作ったものだ。

わかったかな。

エヘン!



ま、何十億円だ、何百億円だ、豪邸だと言っても、今の俺の広いテラスを通して、無料、タダの庭園付きプレハブの暮らしの方がよっぽど楽しいわけで、風に揺れる芭蕉の葉のモスグリーンなども美しく楽しめるわけで、今日も雨もよいの静かな朝だけど、たった一つだけちょっとつらいのは、右半身、特に腿の裏の痛みだけだ。

だが、こうしてたまには公仁、典久、裕子の事を、シキの事も考えて、ま、出来たら死ぬまでに一度会いたいなと思うわけだ。

死んだら神様だけど、反面死んだら全てオシマイって事だしな。



現にウクライナでは、今も何百人、何千人と人が死んでいるわけだ。

ほぼ無辜の民が殺されている、理不尽な惨状が繰り広げられているわけだ。

そろそろ日本にも軍靴の足音が、ザッザッザッと聞こえ始めるかも知れないな。

うーん、悪い想像が始まったが、ウクライナを考えればしょうがないか。

じゃあな。



2022年5月4日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



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