想像の世界(1136)積もる話も沢山あるし、ま、俺は今の唯一の夢、宮古島の二拠点の生活について話そう。


想像の世界(1136)積もる話も沢山あるし、ま、俺は今の唯一の夢、宮古島の二拠点の生活について話そう。



今朝は8時半に起きたので、今8時55分で、今まで来間島の崖の上の、いわゆる俺の、”天空の住宅”、の話を直美としていた。

そして俺たちは、宮古島の平良の市街地に隣接した、静かな布干堂の海を埋め立てて、300坪の敷地に、俺の作ったコンテナハウス18坪を、直美がバリアフリーの、10坪程の屋根が格子のテラスを作って、勿論コンテナハウスも全部改装して、俺たちは、俺が脳出血で倒れて9年が過ぎるが毎日楽しく暮らしている。



今でも贅沢な暮らしとは思うが、俺が80歳を越える頃には、来間島の崖の上の天空の住宅を完成させて、布干堂の海上の家と、来間島の天空の家を、宮古島の2拠点にした暮らしをする事が俺の夢だと言ったら、直美も賛成と言った。

老後を優雅に暮らす一番贅沢な夢かも知れないが、実現可能な夢で、やるか、やらんか決断するだけだ。

直美は何千円か貯めないと心配みたいだけど、ま、俺は半身不随で何も出来ないので、何も心配はしないわけだ。



例えば、勲兄さんも仁も、中々豪華なマンション暮らしではあるが、ま、俺には似合わない暮らし方で、子供の時から父ちゃんと二人で、母ちゃんの為に花畑を作って、花も満開に咲かせていた事や、そのちょっと前には、平一校で、俺や、つとむや、鉄彦達、6年2組のみんなで花壇の花をいっぱい育て、咲かせて表彰された事もあったし、俺は級長だったから、みんなの代表でとても誇らしかったし、兎に角、花が好きで、唯一の趣味と言ってもいいわけで、元々は金儲けは別に好きなわけではなく、何か新しい事に挑戦するのが好きで、ま、家出みたいなものだ。



兎に角、勉強には一切興味がなく、小学校に入学して2日目に登校拒否して以来、勉強は全て辞めたので、いわゆる、”10で神童、15で才子、20歳過ぎればただの人”、ってわけだけど、おふくろの血を引いているのか金儲けが上手くて、ただ興味はないわけだ。

サンエーを作って沖縄一の企業にはしたし、ただ、みんなサンエー創業者は折田喜作と思って、中山誠の影も形も残っていないわけだけど、つまり中山誠はサンエーの歴史から消し去られたわけだ。



うーん、取り敢えず構わないし、折田喜作が最初の一店舗目の、小さなサンエーと言う衣料品店を作った事は事実だが、沖縄一の大企業にまで育てたのは全部俺の仕組んだ事で、沖縄一の企業を作ったのも、育てたのも一切俺で、ま、折田喜作も、上地哲誠も、折田譲治も、沖縄一になってから後の話には影も形も残っていると言うわけだ。

ただ俺みたいに、”命もいらず、名もいらず、金もいらない”、と言う奴は始末に困るってわけで、取り敢えず沖縄一の大企業にしたから、後はお前らで勝手にやってくれと言うわけだ。



負け犬の遠吠えみたいに思うかも知れないが、それがサンエーの真実で、丁度6月17日の俺の誕生日に、サンエーの宮古島空港東側の新店舗はオープンしたわけだ。

偶然というより必然な事が起こったわけだ。

哲誠も社長を降り、譲治も会長を退いて、今後はそれなりに悠々自適な暮らしだろうし、金もそこそこ溜まって食うには困らないわけだから、是非一度、宮古島に俺に会いに来てくれ。

積もる話も沢山あるし、ま、俺は今の唯一の夢、宮古島の二拠点の生活について話そう。



そして、来間島の天空の住宅から鳥瞰、俯瞰して、世の中、世界の事をどう見るか、どう考えるかを話し合おうじゃないか。

それに比べれば、サンエー年商2,000億円の話も小さい事で、俺たちの中山(ちゅうざん)と美ら美らの毎日の暮らしの方が実感があって、うまいつまみ、うまい料理、うまい酒、うまい飲み物…

うーん、それ以外に欲しい物…

海上の家、天空の家の2拠点の暮らし。

優雅で贅沢な話と思うぜ。

じゃあな。



2022年8月26日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



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