想像の世界(1137)昨日、8月26日は直美の誕生日だった。


想像の世界(1137)昨日、8月26日は直美の誕生日だった。



昨日、8月26日は直美の誕生日だった。

午後1時過ぎに、店長の つよし がかなり沢山のプレゼントを運んで来たが、昨夜11時半ごろ帰宅する時の直美は、両腕に抱えられない程の大量のプレゼントを持って帰って来たので、俺は昼もケーキを食べたし、夜も新しいケーキを貰ったわけだ。

6月17日の俺の誕生日は、週明けの月曜日に大パーティーを開いてくれて、みんなで30人を越える程の人、従業員とその家族たちが揃って集まり、お祝いしてくれたのは丁度コロナ騒ぎの3年目に当たっての大集合となったわけだ。



その日のお礼のプレゼントも、かなりすごかったが、昨日の直美へのプレゼントはそれ以上で、もう直美も俺もウハウハ状態ってわけだ。

何か、中山(ちゅうざん)と美ら美らは、俺が脳出血で倒れてより結束が強まったようで、或る意味それは喜ばしい事ではあるが、うーん…。

昨日は俺はネットで映画を見て、直美はお祝いのメッセージへの返礼を一生懸命やって、とうとう史上初の午前3時になってしまったのだ。



おかげで、今日は8時30分の起床となったわけだ。

俺が考えると、人間は幸せになる為に生まれて来た筈なのに、結局欲の為に争って不幸になるわけだ。

つまり、俺はハツおばさんに育てられたので、その欲とは縁のない育て方をされ、幼い頃は、家で壁いっぱいに貼られた色々な表を、”これは何”、と俺が興味を持つように仕向けて、勿論一切強制はせずに、自然に楽しく学ばせてくれて、今考えれば、俺は日本一の先生が、物心ついた時から専属の教師となってついていたようなものだ。



そして、小学校に入学する時には必要最低限の知識がついていて、更にそれ以上に良かった事は、入学2日目で桜井ひろ子と言う小柄できれいな先生に、”みんなと同じ事をしなさい”、と命令され、その強制が断じて許せなかったので、アカンバまーちゃんは登校拒否をして学校に行かなくなり、入学2日での登校拒否により、毎日、毎日、一週間程我が家を訪れ、俺に復学を頼むひろ子先生は、とうとう最後に、”まーちゃんが何をやっても、先生は絶対に怒らない”、と言うので、やっと復学したわけだ。



つまり、それ以来俺は勉強は一切やめたわけで、勿論、興味が湧いた事などは調べもしたわけで、パイナガマのヤラブの森の奥深くには、俺の作った創意工夫のいっぱいある秘密の基地があったし、放課後の遊びは、それはもうスカキ(レスリング)に至るまで、勝つ工夫も人の何倍もやったし、おかげで新聞配達で毎日走力の鍛えられた、漢那マサヨシに抜かれるまでは平一小学校で一番足も早かったのだ。

つまり、勉強はしなかったが、小学校入学前に地頭も体力も全て鍛えられていたので、もう後は、ただただ目から耳から飛び込んでくる知識で小学生では一番だったし、中学生でも二番を続け、高校生でも曲がりなりにも全琉、つまり、沖縄で30何番位は保っていたわけだ。



クラブ活動も一切やった事はないし、つまり全てが遊びの中で学び、鍛えたわけで、今考えれば全ては小学校入学して、桜井ひろ子先生のおかげで、俺は先生達からは無視され、俺も先生の教えは全て無視して、後は全部読書から知識は得ていたし、ヌギバイ(無賃でこっそり入る)して見た数々の映画から見た情報で、小学5年生で見たターザン、そして中学生で見たグレゴリー・ペックのモロッコで見たアフリカ、そして高校の頃見た、黒いオルフェでブラジルなど、兎に角南への憧れはすごく強くて、高校3年生の2学期にはとうとう家出して、アフリカを目指したが、外国旅行にはパスポートがいる事も知らないので、沖縄のコザ市から石川市、そして那覇市まで徒歩で縦断して、親友の儀武息勇からもらった5$で、八重山。石垣市までは辿り着いたが、そこで足止めを食ったってわけだ。



ま、大人になって香港、台湾、タイ、オーストラリア、バリ島は行ったが、結局あちこちと行ってはみたが、年々進化だか進歩とかしているようだが、その発展とはどうやら高層化のようで、確かに戦前既に完成したエンパイヤーステイツビルの100階建てはすごいし、エレベーターの技術などすごい技術が散りばめられてはいるが、何せ俺は5階以上は全て無視で、ま、せいぜい旅の一泊なら100階でも200階でも一度は経験してもいいが、それ以外は自然の山が一番良いのであって、タワーマンションなんか俺は無視で、進化も進歩も、近代化の全ての技術も、新しい知識も無視だ。



もっとも、かなり大きなテレビでYouTubeなどを見ているがね。

さて、曇った日で右半身はズキズキ痛むので、今日はコレデオシマイ。

後で、直美の誕生日のお祝いのケーキを食べよう。

じゃあな。



2022年8月27日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



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