想像の世界(1139)過去で一番敏感に自然の美しさ、人の優しさが分かったわけだ。


想像の世界(1139)過去で一番敏感に自然の美しさ、人の優しさが分かったわけだ。



無病息災と言うのが理想なんだろうが、健康でバリバリ元気な頃は、そんな事など一切考えた事もない。

68歳で脳出血で倒れて4〜5日も意識不明で、死んだも同然の状態から徐々に回復したものの全ての物の名前、人の名前を忘れて、物の名前をひとつ思い出そうと1時間もリハビリさせられたが、たったこれだけの事でもうヘトヘトで、俺は物の名前を思い出す訓練では、何度も今日はやめようと言って雑談の時間にしたものだ。



つまり、想像する事も疲れる事で、死地は脱したものの、目が覚めている間もボーッとして、一日ただ何も考えずにいると言う、まるで死んだのと同然の毎日を過ごしているだけだったのが、ある日五体満足に繋がっていて、右と左の体が、縫われて繋がっているのではない姿形を見た時は、突然自分の肉体を生まれて初めて美しい物として認識し、突然爆発的に、”見ろ、俺の体を見て見ろ、美しいだろう”、と大騒ぎして歓喜雀躍したものだ。

それまでのリハビリは、全て死人だったようなものだが、その時全ての神経が繋がり、物の名前も少しずつ思い出していったわけだ。



3〜4ヶ月は死んだようなもんで、妻の名前すら思い出せなかったわけで、その日以来、パッと目の前が明るくなったようなもので、物の名前、人の名前を思い出すと、全てを美しく感じて、もう全ての感じ方がハッキリとしたわけだ。

ま、痛みの感じ方まで、より強く感じるようになったのだけは迷惑な話ではあるけどな。

五体満足の無病息災の状態だった俺が、五体不満足の一病には苦しめられてはいるものの、今までで一番息災な日々を送っているわけで、過去で一番敏感に自然の美しさ、人の優しさが分かったわけだ。



勿論、人の美しさもより強く感じるようになったと言う事は、人の醜さもより強く分かったわけで、ただ何となく生きていた一生が、とても貴重に思えて、毎日生きている事の喜びは、半身不随で痛い体ながら、目覚めから眠りにつくまで、全て新鮮に感じるわけだ。

それを一番感じるのは直美の優しさで、愛そのものだなーと感じるわけで、全てにテキパキと活動的なのは、それは感動もので、ま、時々負けず嫌いなところがチラッと見えるがね。

今、目の前のテーブルを拭いていたが、いい匂いが漂っている。



掃除機もコードなしに新調して軽くなったし、もう今朝は休みの日なのに風呂も浴び終わって、掃除も終わり、ただ俺の体は痛みがひどくなって来た。

目覚めた時は、腹筋運動は取り敢えず123回やったが、何故か誤嚥性肺炎と言う言葉が、頭の中にずっと浮かんでいた。

うーん、確かに倒れたせいか歳のせいか知らないが、水を飲むのだって一回で簡単にスッと飲めなくなって、用心深飲むようになったし、記憶はかなり戻ったが忘れやすく、77歳ともなれば一応年寄りってわけだ。

取り敢えず、今日は下地診療所の祥子さんともたっぷり話も出来たし大満足だ。

じゃあな。



2022年8月29日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



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