想像の世界(1147)父、中山勇吉は、遠い南の島で軍事裁判には、かけられなかったのは幸せだった。


想像の世界(1147)父、中山勇吉は、遠い南の島で軍事裁判には、かけられなかったのは幸せだった。



昨夜、YouTubeを見ていたら、第二次世界大戦の、日本の敗戦後の日本軍人を戦犯として裁いた、軍事裁判についてのアジア各国の首脳、及び欧米各国の首脳の発言を集めた番組をやっていた。

俺は久々に食い入るように姿勢を正して見入っていたが、こんなに国際的にも有名な、首脳の多くからの賞賛の言葉こそ正しい日本の姿であり、俺は常々日本の自虐史観こそおかしいと思っていたので、昨夜はは胸の溜飲が取れた思いで、心の中で快哉を叫んだものだ。



日本が敗戦によって、真珠湾を攻撃した事を卑怯者扱いされており、おかげで、さもアジアを侵略した卑劣な国とされていたわけだが、俺は常々それとは真逆で、卑劣な国は当時アジア各国を植民地にして、アジアの民を全て奴隷のようにこき使っていたアメリカ、イギリス、フランス、オランダ等の欧米各国であって、それに無謀ながら一国で立ち向かった日本は、勇敢な正義の行動をしたわけで、ただ残念ながら、日本は欧米各国の連合軍に負けたわけだ。



そして、その後の法律の専門家でもない奴らの起こした軍事裁判で、日本は裁かれ卑怯者扱いされる事になったわけだ。

それを間違ったリベラル思考の左翼的批判がまかり通って、戦後の日本の歴史は自虐史観となってしまい、小学生以下、全ての教育も自虐史観を押し付けって来たわけだ。



俺は小さい頃から父、中山勇吉の背中を見て育ったわけで、勿論父も母も一度も戦争について俺たち子供に語った事はないが、常に正しい行動を取り、嘘を言わず、明るく振る舞い、立ち向かっていた父を、母も俺達も信じて生きて来たので、俺はこの自虐史観には納得出来ず、ずっと日本はやむを得ず戦っただけで、追い詰めていったのが欧米で、俺はハワイの真珠湾の軍港を攻撃した事すら、単に連絡、報告の遅れだけの話で、少しも卑怯な事ではないと固く信じているわけだ。



そうでなければ、大学卒業以上でなければ尉官以上にはなれなかったわけだが、たまたま特別な昇任試験を受けた父、中山勇吉は、100名近く試験を受けた中でたった2人の合格者となり、2人とも沖縄出身だったわけで、その中の1人が高校さえ出ていない尋常中学校卒の中山勇吉だったわけで、もう一人は大学卒で、その他の多くの内地出身者にも大卒は数多くいて、少なくとも高校卒業以上だったらしい。

父、中山勇吉は最終的に陸軍少佐で終戦を迎えたわけだが、それまでの努力は恐らく血の滲むような努力の連続だったのだろうと俺は思ったものだ。



勿論、一度も俺たち子供にそのような自慢話などした事はなく、常に笑顔で接した父、中山勇吉は60歳で死に、母、光子も58歳で死に、二人とも今思えば短い生涯だった。

残念無念だ。

勿論、その間に兄、中山勲が精神科の医者となり、弟、仁は内科の医者となり、末っ子の剛も医学に合格したものの二年で中退し、兄弟で一番頭がいいと思われていたが、その後は学習塾の先生となり、俺もそれなりに優秀な人生を歩んで来たわけだ。



たった一人の妹、智子は、ま、普通の人生を送って来たが、最悪への備えは兄弟一丸となって智子は守ったわけだ。

今は一人息子の元で、孫に囲まれて幸せに暮らしているわけだ。

つまり、兄弟、妹、全員、若死にではあったが中山勇吉、光子の努力の賜物だった人生を今送っているのだ。

兎に角、父、中山勇吉は、遠い南の島で軍事裁判には、かけられなかったのは幸せだった。



昨日は台風も過ぎて、久しぶりに直美とつよしと3人でドライブをした。

まずバッシラインでランチを食べ、俺はソーキそばを食べるのが外食のルーティーンで、今の所バッシラインのソーキそばが宮古島No.1だと思うので大満足だった。

直美とつよしは、ソーキそばの小とカツ丼の小のセットを食べていたが、これも中々美味しそうだった。



その後のドライブで、狩俣に保を訪ねたが、海ぶどうの配達中で不在だったので、池間島へ渡りアイスクリームを食べアイスコーヒーを買ったら、その前にコンビニ3カ所では何処も品切れ中で、商品もガラガラで商品入荷まではあと数日はかかるとの話だった。

4店舗目でのアイスコーヒーとアイスクリームは、俺たち3人で丁度ラストらしくラッキーだった。

うーん、特別うまく感じたもんだ。

その後は、メイクマンで残っている花を片っ端から買ったわけで、とはいっても全部品切れ状態で、合計金額は一万円程だった。



ところで直美の希望で、今週から水曜日もアルクラも再開するので週二回となる。

水曜日の連中とは一年振りぐらいになるかな。

金曜日のメンバーも大分変わったが、水曜日には懐かしい顔に会えるか楽しみだ。

じゃあな。



2022年9月6日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



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