想像の世界(1149)山の分校と言う、かなり古いテレビ番組を見た。


想像の世界(1149)山の分校と言う、かなり古いテレビ番組を見た。



山の分校と言う、かなり古いテレビ番組を見た。

古いといっても、テレビが開局して大分過ぎた頃の山の分校の子供達と、山での大人達の暮らしが描かれていて、その全てにどんよりした古い体質と、食うのにやっとの生活の中で、明るさの微塵も感じられない学校生活を送っていた子供達が、一人の生徒のテレビと言うものを知って、”テレビが欲しい”、と黒板に書いて帰ったことを知ったたった二人の先生の内の古い男の先生が、何度も何度も小さな教育委員会や、更に山を降りてのNHKの街の支局への度重なるお願い、交渉の数々と、粘り強いお願いの結果、ようやく山の分校にTVなる物が引かれ、テレビ番組をNHK番組で知り、次にテレビの教育番組の数々でテレビ授業を受け、その子供達が全員取り付かれて、一言一句まで見逃さずに、どんどん明るく活発に生まれ変わって創意工夫のある人間になっていき、その子供達により、山のただ我武者羅に働くだけで、それ以外に何の楽しみもなかった大人達まで生まれ変わって、活発な生活に山が変わっていったのだ。



俺はずっと食い入るように、その番組を見ながら、敗戦後の何もなかった宮古島の生活を思い返していたが、食うので精一杯で、何の楽しみもなかった事は南の島の生活も似たようなものだったが、何せ島は離れ島でも昔々は8万郡民といったもので、戦後も5万6千人ぐらいはいて、山の暮らしよりは何かと活気はあったのだ。

そして、俺は朝の目覚めから寝るまで一日中遊びの工夫をして、信坊や、よし坊達、神屋内界の遊びのリーダーだったわけで、その内4歳後半から5歳になった頃、初めてパイナガマの海と、白い砂浜とヤラブの森と、浜昼顔の広がる美しい天地が俺の遊びの天国となり、遊びの創意工夫にも変化が充実していったわけだ。



それはテレビなどでは得られない別の創意工夫の連続で、今考えてもあまりに楽しい遊びの天国が宮古島で、俺は小学校に入学しても、川満長寿や、三田昭吉や、花城栄長、栄や、光輝など、多くの勉強の出来きない奴らの兄貴分として、彼らを引き連れて遊び回ったものだ。

クリスマスイブやクリスマスさえ米軍によってお菓子のプレゼントがあり、クリスマスの楽しみも知ったし、盆と暮れと正月と次々に楽しい行事が訪れるし、遠足で今の植物園の裏の水源地への、一里、4kmをみんなで歩いた楽しみや、陣取り、缶蹴り、ビー玉による数々の賭け事から、バッジ、つまりメンコ、凧揚げや、もう上げれば枚挙に暇がないほど、俺はグドゥン(劣等生)どもの親分として、常に先頭に立って遊んでいたものだった。



山の分校が、どんよりとした毎日から、テレビによって活気を見出したわけだけど、俺達は宮古島そのものの美しい自然の中で、全ての楽しみを与えられ、大人達も、街にはダンスホールが出来、若い男女の出会いの場、恋愛の場と、歌と踊りの場として毎晩活気に溢れ、夜には沖映館、平和館、国映館の映画館はどこも毎日満員で、俺もヌギバイ(逃げ隠れて)タダで、チャンバラ映画からターザンまで映画を堪能し、大人達は、さらにイーザト(西里)の夜の街での、酒を飲み、女をスカス楽しみがあり、小さな南の島、宮古島は、テレビはなくても活気に溢れていたものだった。

俺はそれらの数々の思い出を、山の分校に活気が生まれた事と、宮古島の活気ある暮らしと比べながら思い出したのだった。



今も観光客が増えて、宮古島の自然の中で大いに楽しんでいて、おかげで居酒屋中山(ちゅうざん)も美ら美らも大繁盛で嬉しい限りではあるが、島の人々の楽しみの場となれば幸いだと思って造ったのに、観光客の予約で、予約の習慣のない宮古島の人々は中々中山(ちゅうざん)で遊ぶ事も少なくなっている始末だ。

うーん、渡り鳥の鷹は激減してほとんど見られなくなったが、宮古島の青年も街ではほとんど見られなくなり、代わりに観光客とナイチャーが激増した。

うーん、中山(ちゅうざん)にとっては喜ばしい事だが、これでいいのか…



空を埋め尽くし、昼が暗くなる程の鷹、サシバの群れが飛ぶ天空が俺は大好きで、鷹の季節には、いつも鷹を買ってもらって、それを飛ばす為に毎日平一小学校の運動場で、誰の鷹が一番長い時間遠くまで飛ぶかを、重りつきのヒモを調節、調整する創意工夫では、俺は古いカカトのすり減った女物の下駄を更に削って微調整したもので、飛びすぎて運動場をはるかに飛び越えて回収するのに苦労したりもしたし、もう学校の勉強では得られない、人の喜びの創意工夫がそこにはあったのだ。

おかげで、サンエーを沖縄一の企業にした創意工夫も生まれたわけだ。

人間万事塞翁が馬。

じゃあな。



2022年9月8日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



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