想像の世界(1722)つまり、俺も亨から見れば、歳相応に老けたジジィかも知れないな。


想像の世界(1722)つまり、俺も亨から見れば、歳相応に老けたジジィかも知れないな。



古原亨と奥さんは、中山(ちゅうざん)にも美ら美ら(ちゅらちゅら)も行ってきたよ、いい店だったと喜んでくれた。

今日の朝帰るので、多分会いに来れないだろうと、昨夜も遅くから来てくれて、その上、自分らの分のアイスコーヒーと、俺にはコーラを2本も買ってきてくれたりと、ま、我が家の冷蔵庫には、ちゃんとその為の準備も直美がしてくれていたのに、逆に亨と奥さんが気を遣ってくれたわけだ。

昨夜は主に俺がしゃべったが、さすがに明日の朝帰るからと言って1時間半ほどで帰ってしまった。

うーん、ちょっと心残りだったが、一昨日は4時間半ぐらいは語り合ったので、ま、いいかと思ったわけだ。



亨と奥さんは、観光バスで宮古島のあちこち観光したし、伊良部島へも伊良部大橋を渡って観光して、夕方帰ってきて、中山(ちゅうざん)と美ら美ら(ちゅらちゅら)も行って来たと、喜んでいた。

ま、2泊と短い旅はあったが、宮古島をかなり堪能出来たらしく、良い旅だったようでよかった。

考えたら博多は何度も行っているが、いつも通過するだけで、1泊したのさえ、せいぜい2〜3度で、亨と会ったときの2度と、保と青島に行った時ぐらいで、その時は夜だけの博多で、酒を飲みに居酒屋に行っただけで、ただその時食べた博多ラーメンの味が、忘れられない美味しさだったもんだ。



亨と奥さんは、時々その博多ラーメンを食べているだろうなと、羨ましく思ったもんだ。

多分もう空港に向かったかも知れないわけで、朝早くの便と言っていたからな。

兎に角、俺もワクワクして楽しかった2日間で、今朝で3日目を迎えるわけだ。

ま、小さい南の島、宮古島は観光には3泊ぐらいが丁度いいかも知れないな。



俺は旅は少ないが、行く時は外国の旅は4泊とか5泊が多いので、ま、でも程々だな。

外国人は10日とか1ヵ月とか長旅が多いが、ま、俺は日本は、何年もいる長旅で、大阪は2年いたし、東京は大学生の時は4年だし、もう、その他何回も東京では長期滞在しているわけだ。

亨と奥さんは旅が趣味らしく、先日もヨーロッパから葉書を送ってくれたし、後日の手紙では写真もあって、とても楽しそうだった。



ただ大学生の時にいつも一緒に楽しかったが、あの頃の亨は驚く程の美少年で、肌も白く美しく、20歳を過ぎて東京で初めて同性愛というものがあると知って驚いたわけだが、俺の横で、すぐ近くに亨の顔があった時は、俺もドキッとしたもんで、何となく同姓愛も分かるような気がしたもんだ。

それぐらいにトンデモない程の美少年だった亨だが、今回宮古島であった亨は、頭の毛は少なく、ほぼハゲているし、肌にはシミも出て俺以上に老けていたし、ちょっとびっくりしたが、声は昔のまま、話し方も昔のままの亨で、俺もとても嬉しかったのだ。



つまり、俺も亨から見れば、歳相応に老けたジジィかも知れないな。

どっちにしろ、今回は50年振りに亨と連絡が取れたわけで、小林健一様々ってわけだ。

いつか健一とも会いたいもんだが、ま、毎年年賀状はくれるし、それも自作の俳句か短歌つきの気の利いた年賀状で、近況を知らせてもらい、とても嬉しいもんだ。



山、山角隆之とは、10数年逆に連絡が取れなくなって、電話も、”この電話は現在使用われておりません”、となっているし、どうやら離婚したらしく、あんなに仲の良かった清子(じゅんこ)なのに、本当に残念だ。

健一、亨以上に、山とはちょいちょい会っていただけに、本当に残念だ。

亨には、時々手紙を出そうと思う。



外はものすごい快晴で、陽の光が眩しく光り輝いている。

4月も3日となり、すっかり晴れ、直美はストーブも片付けたし、今朝はクーラーまで入れて、俺はちょっと寒かったけど、何とかベッド上体操は全部やったし、兎に角、継続は力なりで、もう10年毎日やっているし、昼寝の後もやるので、1日2回、毎日続けているわけで、半身不随で右半身はほぼ動かないが、今は利き腕ではない左手も使って、こうして毎日日記を書いているわけで、飯も左手で箸も使うし、下地診療所では、左手はみんなフォークを使っていたが、俺はいつも箸を使ったもんだ。

おかげで、今は左手が利き腕よりも利き腕のように使えるし、昨日は、亨よりも左手は強かったもんだ。

アルクラでは左手で鉄アレイの訓練もするし、色々と左手の訓練はしているわけで、今じゃほぼ利き腕のようになってはいる。

ま、自称沖縄で一番喧嘩の強い男だったが、今は10万番目以下ではあるがね。



今、津波警報が発令されて、俺と直美は急いで着替えて、すぐ東にある、この一帯では一番の高台へ避難して、津波はまだ来ないが、津波情報では3m半ぐらいの津波が来ると言うし、そうすると、我が家にはほぼ津波に埋まってしまうわけで、高台で津波から避難していたわけだ。

いつまでたっても津波は来ないし、高台に直美と俺は二人っきりで、俺はセニアカーで、直美はそのまま立ちっ放しで、結局9時から11時前までいたわけだが、俺と直美以外は誰も外に出てくる人はいないわけで、今やっと11時25分だ。



ところが津波情報の解除はまだ出ていないわけで、亨と奥さんは、とっくに博多へと飛び立ったわけだ。

うーん、アルと花はどこかに隠れているが、この臆病者めと笑っているだろう。

さて、今、直美は化粧もして掃除を始める準備をしているが、大山鳴動してネズミ一匹だな。

ま、こんな日もあるさ。

結構楽しかったし、全てコレデヨシ。

じゃあな。



2024年4月3日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



同じカテゴリー(想像の世界)の記事

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。