想像の世界(1723)未知との遭遇の映画そっくりなUFOを、若い時に2度も見たと言うのだ。


想像の世界(1723)未知との遭遇の映画そっくりなUFOを、若い時に2度も見たと言うのだ。



宇宙人とはよく聞く話ではあるし、UFOともよく聞く話だが、勿論、俺は見たこともないし、またーに色々と想像するだけだ。

UFOは過去に一度、38年ほど前に、那覇の前島に住んでいた頃、直美と2人で不思議な動きをする空の彼方の光を、数時間も見ていたことがあり、とても自然とは思えず、UFOかなーとは思ったもんだ。

俺は、その時1回だけUFOらしき光を見たんだけど、直美は全く未知との遭遇の映画そっくりなUFOを、若い時に2度も見たと言うのだ。



俺が、”えー、直美の想像の話じゃないかと言うと、2回とも友達が一緒に数人で見ているので、想像の世界の話ではない事実のことなんだと言うんだ。

俺にしたら、すごく羨ましい話で、俺もそんな経験をしてみたいもんで、嘘をつきそうもない人の、UFOの中まで連れていかれた話も世界中にはあるし、多分事実なんだろうと思うし、羨ましい話は、確かに世の中にはいっぱいある。

ま、浦島太郎の話などは、あくまでも人の想像した世界のおとぎ話とは思うが、兎に角、ありそうもない話が世の中にはいっぱいあるもんだ。



それにしても、日本も79年前に敗戦国となって、アメリカのGHQによる戦後処理でガンジガラメになって、日本政府は、今もアメリカの犬のまんまに成り下がったまんまだけど、逆にそのおかげで、戦争の実戦は経験しないわけで、ま、悔しいけど反面有り難い話で、おかげで俺も幼い頃からのびのびと自由奔放に遊んで、こうして79歳まで過ごしているわけだ。

ただ、小さな南の島、宮古島が俺にとっての自由の地で、ここに住むことが一番嬉しく楽しいことなので、いわば俺はサンエーなどは捨てて、宮古島に帰って来たわけで、直美も呼び寄せて、また直美のヒモになっているわけだ。



何せ4歳から自由気ままに、自由奔放に生きてきたわけで、最初の結婚では、仕事をしなければ離婚すると、新婚1ヵ月で節子に言われて、儲けるには人の好む、他所にないものを揃えてあって、他所よりも安く売れば人は満足するなと品揃えをして、もうライブあり、店内にも音楽に満ち溢れてさせておけば、人は集まり、人が人呼び、人の集まるところに人は次々集まる筈だとやったら、一年目では宮古島一になり、次に手がけたサンエーでは、5年間で沖縄一の企業に仕立てたわけだ。

ま、その後レイチェルの沈黙の春を読んで、企業活動の虚しさをつくづく知ったわけで、故郷の宮古島で、自由にのびのびと暮らそうと帰って来たわけで、居酒屋を作り、それを天職にして、もう何処にもない、食品添加物無添加の食材による、何処よりもウマイ料理の品揃えを、俺の食いたい料理を集めた居酒屋をつくったら、一年で宮古島一になったと言うのが中山(ちゅうざん)で、もう今年は34周年を迎えるわけだ。



気は相変わらず若いので、一昨日までは古原亨とも、2人とも大学の頃のままの会話をしていたわけだ。

そして昨日は、久しぶりに小林健一に手紙を書いたわけで、つまり亨と会えたのも健一のおかげで、そのお礼の手紙と言うわけだ。

ま、俺などは、こうして自由奔放に、のびのびと暮らしているわけだが、ま、世界中政治を預かる首脳陣は全員駄目な人物だらけで、しかもやたらと戦争したがる奴も多く、情けない話が続出する始末だ。



たまには嬉しい話も聞きたいもんだが、ひとつもないし、こうして世の中はどんどん悪くなり、世界中の自然は汚されまくって、あの美しかったヤラブの森に囲まれて、誰の目にも触れられず、ゆったりと横たわっていた、エメラルドとコバルトブルーの美しい海と、白く広がる砂浜と、浜昼顔が咲き乱れていた、あの美しい宮古島、俺の自由の天地で、ポーを食べながら、ザウカニを食べて楽しみ、ホラ穴でコウモリを捕り、教室の屋根裏に逃して飼うつもりだった、もう自由奔放そのものだったがアカンバまーちゃんは、ハツおばさんに育てられた頃そのままに、今、直美に育てられているわけだ。

ま、考えようによっては、作家はよりも、絵描きよりも一番自由奔放に生きているわけで、まして科学者や政治学者よりも、政治家よりも、ずっと自由奔放に生きた人生だと思うわけで、企業活動はやめて居酒屋暮らしを選んだ人生は、満足で大正解だったと思うわけだ。



ま、こうして半身不随で、一時は意識不明で4〜5日は死んだように寝たきりだったわけで、目覚めてからも全ての記憶をなくし、人の名前も、物の名前も全て忘れて思い出せず、妻の名前さえ分からないわけで、ただボーッとして死んだように横たわっている状態が4〜5ヶ月も続いたが、或る日覚醒して、物の名前も、人の名前も思い出し、真っ先に思い出したのが勲兄さんの名前で、次に直美の名前で、後は次々と思い出したわけで、今はもう全ては人並みに全ての思い出を思い出し、そして先日は、大学時代の親友、亨が宮古島を訪れて来てくれて、2泊3日で宮古島の観光もし、俺とも毎日楽しんだわけだ。

こうして、そのお礼状も、小林健一のおかげだと手紙も書いたし、世の中の政治も大自然も全て汚されてしまったが、健一も亨も、親友の心はみんな美しいままで、今も変わらないわけだ。

おまけに今、亨から電話があった。

もう嬉しい亨の声を聞いたので、今日はコレデオシマイ。

じゃあな。



2024年4月4日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



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