世界ではグローバリゼーションが進む反面、トランプのようにアメリカファーストを進める人間も現れるわけだ。
日本でもグローバリゼーションを進める奴ばっかりで、その上更に、親中派、媚中派揃いの政治家ばかりで、JAPAN FIRST、日本第一主義の政治家はもういない。
かろうじて安倍晋三は、ある程度ジャパンファーストの気概はあったと思うが、彼も、おじさんの岸信介譲りの統一教会へも親しみを見せていたので、やはり売国奴的要素はあったわけだ。
もっとも、更に売国奴な奴等の毒牙にかかり暗殺されたが、日本の警察の中もそいつらが牛耳っているわけだ。
もう、情けなさも極まれりってところだな。
こうして安倍晋三亡き後の日本の政治は、もう最悪中の最悪の石破茂の政権となり、おかげで自民党は大敗するし、もう終わったなと思うわけだけど、同時に公明党も終わりを迎えるし、同じくロクな野党はそもそもないし、やはり政治は三流なわけだけど、何とかギリギリ民間が頑張っているので、何とか日本と言う国を維持しているとも言えるわけだ。
第二次世界大戦の敗戦で素晴らしい若者の多くを失った日本は、心豊かな若者のほぼ全てを失ったものの、まだ新しい芽は残っていて、徐々に芽吹いてきて、世界第2位の経済大国へと躍り出たわけだ。
その躍進した時代に俺は青春の真っ只中にあったのは、せめてもの幸せだったわけで、おかげで最初の結婚では、妻の節子の為にオリタを一年目に宮古島No.1の売り上げにして、次にその父の折田喜作の小っぽけな衣料品店を、沖縄最大の売り上げのチェーンストア、サンエーにしたのだ。
そもそもサンエーとは折田喜作がつけた名前ではあったが、つまり長女の節子が経営を見ていた宮古島のオリタと、那覇の小っぽけな店と、もう一軒店を作るのが折田喜作の一生の夢で、こうして3軒の店で、3人の娘、節子、和子、富子に、それぞれ婿を貰うのが、つまり3人のエースを迎えることで、サンエーと言う名前をつけたわけだ。
それを俺は感心すれば良いのに、あまりにも小さい話だと馬鹿げていると思い、沖縄一のチェーン店にすると言ったら猛反対されたが、折田喜作が23年かかった小さな店を、俺は1年で宮古島一にして、更に3人の娘に3軒の店を作るのが一生の夢というのを、どうせなら沖縄一の巨大企業にする為にチェーン化しようと言ったら猛反対されたので、それで勝手にサンエーをチェーン化して、5年で小っぽけな衣料品店から巨大チェーンストアとして、衣料品から雑貨から、食料まで全てを取り扱う店にしたのが沖縄最大の企業サンエーで、沖縄一にしたら、今度は名ばかりの社長は嫌だと、今度は実際にサンエーを作ったのは折田喜作だと思わせたかったわけだ。
それで俺は、もう沖縄最大の企業にしたしライバルはいないので、もう馬鹿がやってもサンエーは大丈夫だなと、折田喜作に経営権を渡したのだ。
つまり、それがサンエーの実際の姿であり、折田喜作のイエスマンの、多少は能力もあり実務も出来た上地哲誠が、折田喜作亡き後の次期社長として、サンエー創業者折田喜作を褒めたたえて、沖縄一の大企業にした中山誠の名前を、サンエー歴史の中から消し去ったのが、実際の、本物のサンエーの歴史と言うわけだ。
さて、今年は俺も80歳になる、いわば節目の年だし、自伝的半生記を出そうかなと思っている。
勲兄さんの、”うたかたの想い”、を出版した会社に頼もうと思ったら、会社を辞めたと言うので、ものは試しで、俺は原稿を幻冬舎に送ることにした。
見城徹と言う社長がユニークで面白い男なので、ひょっとしたら引き受けてくれるかも知れないと思ったわけだ。
あと数日の後には原稿送ろうと思うので、結果はどうなるか楽しみだと言うわけだ。
みんなも期待してくれ。
じゃあな。
2025年1月8日
人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…