スカボロー・フェアは、ガーファンクルとサイモンが歌った、イギリスの昔ながらの民謡のようだが、ロンドンからイングランドの北へ、3時間半乗り換えて行った港町のようだが、俺はなんとなく農村をイメージしていたので、港町とは最近知ったのだった。
歌の歌詞の意味も昔はよく知っていたが、歌はもう数年も聞いた事はなかったので、昨夜久しぶりにサイモンとガーファンクルの歌の数々を聴いて、とても懐かしいものだった。
さて、イーロン・マスクは12歳頃は暴力的な父に何度も暴力をふるわれていたようで、死に瀕するぐらいの暴力も受けたこともあるようで、その頃は人生は意味がないと思っていて、その後ものすごく大量の読書をしたらしく、文学少年だった点も少し俺と似ているし、大企業家になったのは、途中までは、俺も一応、32歳ではサンエーを、沖縄一の企業にした点では似ているが、俺は34歳で裏切られ、騙されて、沖縄一の青年実業家の大金持ちから無一文の貧乏青年になったが、40歳の頃にはレイチェルの沈黙の春を読み、大企業が食品添加物を垂れ流していることを知り、サンエーをつくったことの大企業の虚しさをつくづくと知り、馬鹿馬鹿しくなり、昔ながらのアカンバまーちゃんに戻ったのだった。
あれからでも40数年以上も過ぎているわけで、故郷の宮古島へも、ほぼ無一文で帰ってきてからもう36年目を迎えているわけで、大スーパーマーケットを作るのは一切辞めて、ただの人の、自由な青年になって生きてきて、今は79歳の、半身不随の、右大腿骨骨折で人工骨で繋いで、ただでさえヨチヨチ歩きが更にヨチヨチ歩きになったが、それでも脳出血で倒れて半年近くも寝たきりだった日から、突然蘇って歩く練習を始めて、取り敢えず今は720mは歩けるようになった。
5〜600mでは、ここから中山(ちゅうざん)までは届くので、一応中山(ちゅうざん)までは歩けるわけだ。
ま、幸い、俺は母には、いつも、”まー勉強しなさい”、と叱られたが、すぐに逃げ出して一切言うことを聞かず、ヒンジムンワラバー、不良少年だったが、父にはいつもニコニコと笑って接してもらい、若い頃は宮古島一の好男子の中山勇吉と、宮古島一の美女の光子の次男坊として、宮古島一の美少年だった兄、勲の弟が、50歳の時、身長169cm、体重83kgのデブになっていた俺を見て、瀬名波よう子が、”エッ、あの美少年の誠なの”、と半信半疑でさげすむように見つめられた時には、流石に俺もショックを受け、生まれて初めて美少年だなんて言われて、俺の方が、”エッ、美少年?”、と、びっくりもしたが、美女に大変身していたよう子からデブと罵られているようで、喜び半分、悔しさ半分の、高校卒業32周年の同窓会の喜びの日に、少し陰が射した瞬間だった。
今も頭の中では、サイモンとガーファンクルが、スカボロー・フェアを歌っている。
しかも、何故かイエスは山上で垂訓を語っているが、その内容はおぼろげに浮かんでは消えしていて、今まで聖書は3度買い換えていて、今も本棚にはあるし、山上の垂訓はもう5度も6度も読み返してはいるが、全てはおぼろげになった。
イーロン・マスクは、昔は人生には意味がないと思っていたが、今では世界一の大金持ちの大財閥で、夢は低価格のプレハブハウスから、電気自動車、そして宇宙にまで広がっており、火星移住も考えて取り組んでいるわけで、中国、チャイナにも進出しているが、大の親日家でもあるわけで、もう世界一忙しい男で八面六臂の大活躍だが、その点では俺とはまるで違うわけで、世界一の大富豪にもなり、何十兆円の大資産家でもあり、トランプ次期アメリカ大統領のふところ口としての仕事にも携わるわけで、アメリカのガタガタの政治もいくらかは大改造したいのだろう。
俺も、せめて宮古島を世界一幸せにしたいとも思い、親友の幼馴染みの下地敏彦に宮古島の立派な市長になって欲しいと支援もしてきたが、たかだか600万円の収賄容疑で捕まってしまい大ショックで、ほんとに人間とは金がある程度溜まると、もっと欲しくなるのかな。
ま、俺も次々と新店舗を展開する癖がついてはいるが、金が欲しいのではなくて、俺の場合は新しい店の新しい取り組みで、どこのチェーン店にもない新しい店を作ってみたかっただけだ。
それで新しい居酒屋作りを宮古島で作り始めたが、これも、養老乃瀧も2年あまり通って何10回も食べていると全部飽きてしまい、自分で食べたい物を作ろうと思ったわけだ。
だから中山(ちゅうざん)を作り、新しい食材による新しいメニューを開発して行ったわけだが、毎年少なくとも十数種類の新メニューを開発して変えて行ったが、結局落ち着くところは、全て昔ながらの庶民の味のメニューってわけだ。
そういう意味では、結局どこにでもあるようなメニューだが、どこよりも美味しく作る努力をすることにしたわけだ。
おかげで常連は増え、一応どこよりもおいしいとは言ってくれるのは、とても嬉しいわけだ。
直美は今も常に味にはこだわっているようだし、俺も一応、常に味についての質問はやるわけで、影ながら中山(ちゅうざん)には、宮古島一おいしい居酒屋でいて欲しいわけだ。
じゃあな。
2024年12月28日
人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…