想像の世界(2097)我が家も一応ポツンと一軒家でもあり、朝日の当たる家だ。

ま~ちゃん

2025年05月21日 07:00






日本の外務大臣、岩屋毅は、SNSを親中へと誘導する密約を中華人民共和国で交わしていたとの報道を見て、昨夜はかなりのショックを覚えたものだ。

兎に角、何かとあの魑魅魍魎の世界に取り込まれているような、岩屋毅や石破茂首相を始め、石破内閣はすこぶる評判が悪くて、今までも、日本を愛する愛国者の少ない国会議員には心を痛めていたが、今の自民党は、もう親中派、媚中派だらけで、しかも自民党、公明党にも、野党にも帰化した元中国人がゴロゴロいるようで、これでは当然、日本人になっても心のどこかには、中国人としての愛と欲が渦巻いていると思うのだ。



つまり、中国からの帰化日本人は、圧倒的親中派、媚中派と考えられるわけだ。

昔の日本人は、みんな八紘一宇の世界をひとつの家として仲良く暮らそうと言っていたわけで、八紘一宇とは、すなわちイデオロギーのない世界であり、ましてや、備中派の中華人民共和国などと名乗る、中華人民共和国の共産党という、一党独裁国へ媚びる親中派の日本人などは、許せるはずもない。



俺は18歳の頃から、学生運動での全学年などの、共産党への偏愛には絶対反対だったもので、琉球大学まで全学連運動に犯され始めたことに憤っていたわけで、当地は我も我もと全学連になびく学生が多くて、一人踏ん張っていたものだ。

つまり、全学連は既存の社会、経済、金融、及び環境問題の全てをグレートリセットしようとする運動で、つまりグレートリセットとは、都合のいい革新運動だが、俺は昔からの日本の美徳は残す保守主義だったわけだが、もう日本には、真の国を愛する保守主義の国会議員は一人もいなくて、みんな欲の皮の突っ張った奴ばかりしか見当たらないわけだ。



さて、今やっと7時30分で、テラスでは、一度全て萎んで散ってしまったシャコバサボテンのピンクの花がまた咲き出した。

また、テラスの上にも、名も知らぬが俺の大好きな花も咲き乱れていて、もうすっかり春の真っ盛りで、今日は花曇りの薄曇りだが、大分明るくなってきた。

そして12時30分には、店長のつよしが来るけど、さて、つよしの漢字はどの字かな。



俺の中学3年の時の、2学期の級長が普久村毅で、俺の大嫌いな岩屋毅と同じで厄介だが、俺は普久村毅に頼まれて、当時片思いをしていた喜友名貴美枝と言うハーフの美人を、毅に紹介してあげたわけだ。

ま、毅も親しかったわけだが、少し欲の顔の突っ張ったところがあり心配はしていたが、半年もしないうちに別れて、逆にホッとしたものだ。



ちなみに、俺が倒産した時は、その美人のハーフの貴美枝は、誠なら面倒を見てもいいよ、と言って、俺は心から嬉しかったものだが、その時は倒産はしたが、まだ離婚は考えていなくて、ただ初恋の貴美枝とは浮気では付き合えないわけで、離婚した時には、今度は直美が現れていたわけで、結局貴美枝は縁がなかったわけだ。

そして、残念ながら貴美枝は60代でそこそこで亡くなってしまったのだ。



何故か、それを誰が教えてくれたのかが、さっぱり思い出せないのも厄介だ。

こうして俺の初恋の貴美枝も、親友の当銘由市も、新田栄輝も60そこそこでは死んでしまったのに、俺は半身不随にはなったがバリバリに元気になって、全ての記憶も回復しているわけで、こうして人の運命は分からないわけだ。

半身不随ではあるが、俺は腰痛はなくて、ヨチヨチ歩いているが、すこぶる元気なわけだ。



逆に14歳も年下の直美の方が、腰が痛くて、腰ベルトを腰に巻いているので、さて、いつまで中山(ちゅうざん)の女将さんとして頑張れるかが気がかりではある。

そして今日は、やっと朝陽も照ってきた。

我が家も一応ポツンと一軒家でもあり、朝日の当たる家だ。



”デアリーザハウス、イン、ニューオリンズ、デイコール、ライジングサン♩”、朝日の当たる家の歌を、アニマルズが歌っている。

こうしてアニマルズの歌を口ずさんでいる間ももなく、80歳になる俺は、目覚めからも幸せな毎日で、今朝は花曇りから一転、朝日の当たる家に変わったわけだが、おかげで直美は外のテラスに洗濯物を干しているわけだ。



そしてまた、新しく洗濯機も回っている。

さて今日は、12時30分にはドライブなので、11時には起きていなければならないので、間もなく日記は終わりにするのだ。

こうして今はいい天気となりドライブ日和だが、テーブルの上には、一昨日、前泊直美が持ってきた赤いガーベラも、名も知らぬ青紫の花も美しく咲いている。

そして暖かい春の日で、俺は半袖Tシャツで元気そのものだ。

じゃあな。



2025年4月21日



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