想像の世界(1712)俺は毎日、はるばるとパイナガマまで通い、夕方になるまで遊んだものだ。


想像の世界(1712)俺は毎日、はるばるとパイナガマまで通い、夕方になるまで遊んだものだ。



1,914年、大正3年に第一次世界大戦が始まって、大正7年で続いたわけだが、その時は父、中山勇吉もまだ幼かったわけで、母、光子とまだ巡り会っていないわけだ。

それから父と母は結婚したが、兄、勲兄さんが生まれて、幼い頃に第2次世界大戦が始まり、4年目の昭和20年に、兄勲が7歳の時に俺は生まれたのが、昭和20年、終戦の年になるわけで、その敗戦の年ではあったが、パイナガマの塹壕の中にももう何も残ってはなくて、ただ美しいパイナガマが広がっているだけで、鬱蒼としたヤラブの森に囲まれて、外からは全く見えない美しい砂浜には、浜昼顔の花が咲き乱れていて、5歳の俺の専用の遊び場で、4歳になるかどうかの信坊とヨシ坊を、俺は毎日引き連れて、はるばるとパイナガマまで通い、夕方になるまで遊んだものだ。



昼ごはんを家族揃ってテーブルを囲んで食べるなんて事は一度もなくて、せいぜい、それぞれがイモを1個勝手に大きな羽釜から取って食べるだけの昼食だったので、俺はパイナガマの周囲にあるイモ畑のイモを掘って食べるか、サトウキビを折ってカジリすするかして、また午後もずっとパイナガマで遊んでいたわけで、夜と雨の日は、ハツおばさんと2人で、壁にたくさん貼ってあった色々なものを、好奇心で、全部これは何と覚えていったわけだ。



そして5〜6歳では、既に数字も京までは全部覚えていて、最後は無量大数と覚えたわけで、ま、通常ならせいぜい兆の位の金額で終わるのに、今は京まで使う国もあるようで、やたらと0が並んでいるお札もある国もあるようで、ま、そういう国は不便だろうなと思っているわけで、ま、民間でも兆の位の資産を持つ人間もかなりいるわけで、ま、俺に言わせれば、40歳になった頃には、レイチェルの沈黙の春を読んで、資産、財産を作ることの虚しさをつくづくと分かって企業活動は一切やめた俺だが、居酒屋を天職にして、体に良くてウマイメニューをあれこれ作って、宮古島で1番人の集まる店にしたが、昔取った杵柄で、ついつい面白い店をあれこれつくるのを唆されて作ってしまい、しかも騙されてしまって4〜5店舗も潰したわけで、ま、今2店舗残っているのは有り難い話ってわけだ。



ま、その中山(ちゅうざん)と民謡ライブ居酒屋を、宮古島で一番流行らせて今に至るわけだが、民謡ライブ居酒屋は、今は大分出来てきたわけだが、中山(ちゅうざん)とライブ居酒屋美ら美ら(ちゅらちゅら)は、今もずっと宮古島一の人気店で、毎日繁盛しているわけだ。

たまーに1日15万円しか売れない客の少ない日もあるが、ま、18万円を割ると赤字だから、兎に角、宣伝も大切だなーとはつくづく思うけど、せいぜいSNSでちょっと店の様子が流れるぐらいで、あまり宣伝活動はしないので、そういう日もたまにあるってわけだ。



宮古島は一応、離島観光ブームはかろうじて続いてはいるが、流石にコロナの影響もあって観光客の少ない月もあるわけで、この数ヶ月は客のガラガラな店もあるらしく、いつも客がいっぱいなのは中山(ちゅうざん)と美ら美ら(ちゅらちゅら)だけだと酒屋は嘆いていたらしい。

こうして33年間も繁盛を続けているのは中山(ちゅうざん)だけで、養老乃瀧もつぼ八も当時の人気店は全部潰れてしまって、33年間も人気を持続させているのは、直美が料理には人一倍気を遣って、無添加の食材で、無化調の美味しい料理に毎日工夫を凝らしているからで、今も64歳で、もう33年間も、31歳からずっと働き続けているわけで、70歳までは頑張ると言っているが、80歳までは一応女将さんとして君臨するんじゃないかなーと、俺は思っているわけだ。



ま、俺もあと27年間、107歳までは生きているつもりで、世の中が2,024年の今年は大変貌しそうだから、世の移り変わりを改めて知る、第2次世界大戦後の美しい自然の頃から、醜く変化した今の世の中が、どこまで落ちて行くのかを見続けるわけだが、ま、その中で料理のウマイ居酒屋の、中山(ちゅうざん)と美ら美ら(ちゅらちゅら)は生き残っていけると、俺は信じているわけだ。

ま、仕事はしない会長の、アカンバジジィになっている俺は、一昨日も生き残る為の活動は続けているわけで、後は生き残る為には、週に一度のアルクラのみんなとの触れ合いを、とても新鮮な気持ちで毎週楽しんでいるが、さて、この1年だけで次々とマンバーがー入れ替わりに人は入ってくるわけで、もう金曜の午前中だけでも31人目ってわけだ。



つまり15人は既に入れ替わって卒業したわけで、7年間も留年しているのは俺一人ってわけで、美保子と加持さんと俺が、アルクラでは一番の古顔ってわけで、下地診療所では加持さんが13年目で、俺が10年目で、一番の古顔になるわけだ。

ま、それにつけても10年通い続けてる人はそういないわけで、病気も気の持ち方ひとつで大分変わるわけで、今のところ俺は日1日と半身不随の体でも良くなっているので、ま、取り敢えず、この日記もまだ続けられそうだ。

YouTubeはいつ始められるかは全く分からないがね。

じゃあな。



2024年3月24日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



同じカテゴリー(想像の世界)の記事

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。