それで、頭の中で必死に妻の名前の記憶をたどり、数時間かかって思い出すと、あんまり嬉しくて時々叫んで見た。


1月4日(木)

リハビリ生活だけど、脳出血の中でも僕は重い方で、死んでいても不思議ではない。

1カ月半は宮古病院でその後那覇の大浜病院だが、何故那覇にいるのか、分からないし、那覇に妻が来た時も最初なつかしくて、あれなんでここにいるの、なんて聞くと、妻はあきれて、私が誠さんをここにつれて来たのよ、と言うけど、え そうなんだと、ぴんと来ない。

又、妻の名前も仲々思い出せないし、思い出すのは兄貴の名前ぐらいで、しばらくは人の名前を思い出すのが大変だった事だ。

記憶力は10%ぐらいって感じだった。

それで、頭の中で必死に妻の名前の記憶をたどり、数時間かかって思い出すと、あんまり嬉しくて時々叫んで見た。

でも、2日程で妻が宮古にもどると、又忘れる。

これの繰り返しが半年程続いた。

体重も最高86kgで、倒れた頃は76kg以上だったと思うが、50kgまで痩せてガリガリになり、車椅子暮らしで、7カ月目にリハビリセンターに最初行った頃も、車椅子で行ったものだ。

記憶力は、今が80%ぐらいと思う。

そして、この日記も、それの回復の為のリハビリとして、もう2年以上続けている。

右利きの僕でも毎日の訓練で、左手が使えるようになった。

でも、話すことでさえも、かなり疲れるのだ。
でも可能な限りチャンスがあればしゃべる。

右手が使えなくても、書くのも、お箸も左手を使う。

40の手習いならぬ、70の手習いだ。

最初、7カ月目のリハビリ時には、1ケ年で回復を目指した。
次に1年で無理と分かり、2年目を目指した。
それでも無理と分かり、神経の病は大体治らないと分かった。

今は、まず筋肉を鍛えることと、頭を使う事を心がけている。

だからエグザイルを目指して、腹筋を必死に鍛えている。

でも仲々エグザイルへの道は遠いのだ。
腹筋も810回1日に必死にやった事もある。すると疲れが段々たまって来て、数分もすると体全体が痛み出す。

だから、今は大体300回程度でやめる。

おそらくエグザイルへの道は山を越え谷を越えた、はるかかなたに続いているのだろう。

永遠にたどりつけないかも知れないが、今日も頑張る。
そしてその為の栄養も必要だから、時々チキンなどのタンパク質もとっている。

昔の身長は169cmで、今は168cm。
昔の体重は86kgで、今は65kgだ。

腹筋が6つに割れて63kgになるのが目標だ。

握力も右手0で、左手30から、今は右手8で、左手40まで回復した。
目標は左手50で、右手15までになることだ。

ま、これぐらいまで戻れば一応合格だ。




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