Days of Memories アカンバまーちゃん エピソード4

Days of Memories アカンバまーちゃん エピソード4



アカンバまーちゃん エピソード4



小学6年生で転入してきた時の友、福地勇吉にも裏切られるし、クイーン・ズキャビンは閉めるしドン底だったけど、”人間万事塞翁が馬”、で、僕の面倒を見ると言う女子大生が現れ、”ふーん”、と若い娘の思いつきと、すぐ気も変わるだろうと思い、”じゃあ2年後に結婚しようか”、と言って付き合い出したら、卒業してすぐにバリバリ稼ぎ出し、僕はまるでヒモもよろしく毎日楽しく遊び暮らしていたら、あっという間に2年も過ぎ、直美はちゃんと覚えており、”誠さん、今日が2年目よ”、と言うので、僕は喜久本家に結婚の許可をもらいに行ったのだ。



喜久本のお母さんは、お茶とお菓子はちゃんと出してくれたのだが、家の奥に引っ込んで出て来ない。

30〜40分待っても現れないので僕は戻り、1週間程してまた行ったのだ。

するとお母さんは、またお茶とお菓子はきちんと出してくれたのだが引き下がると出て来ない。

同じ事の繰り返しなので、僕は結婚届けを出し、その日に豪華な1m弱のデカイまな板に、すごい舟盛りの刺身を作り、直美の従兄弟に、喜久本に直美との結婚届けと一緒に届けてもらったのだ。



その夜は、喜久本家では、千夜お母さんやみんなで黙々とこの刺身を食べたそうだ。

この豪華な刺身の舟盛りは、マイショップの刺身コーナーの奴が僕への結婚祝として作ったもので、本当に豪華で1m弱の厚い木のまな板もわざわざ特注で作ってくれて、まな板から豪華で流石にこれはマイショップへと返したかがね。

こうして僕は新しい若い妻が出来、しかもその妻の良い稼ぎで食っている良い暮らしで、毎日石川ビーチでウィンドサーフィンをして、高宮城や若い奴らと付き合って楽しい日々を遊び暮らしていたのだ。


2年以上も遊び暮らしていたが、毎日のように石川ビーチへ通うので、僕は石川にあった息勇の家の前に幅4メートル程の庇がるのを見て、ここに喫茶店を作ろうと思い立ち、息勇に、”そこを使っていいか”、と言うとOKと言うので早速改造工事を始めたのだ。

わずかの資金で全部自力でドンドン改造し、数カ月かけて見事な可愛いサーフビードと言う名の喫茶店が誕生したのだ。



そして前面の10m強の幅に、幅30cmほどの花壇を作り、土半分、堆肥半分にした土を入れてヒマワリの種を蒔いたら、これが直径が20cm近く、花の高さが屋根を越えた見事なヒマワリが咲き、しかも種を2週間以上ずらして蒔いたので、前のひまわりが枯れる頃に新しいヒマワリが咲き、この見事なヒマワリでサーフビートは那覇まで評判となって、はるばるサーフビートを訪ねる客もいたのだ。

僕は15万円でクイーンズ・キャビンで使っていた、浦崎と言う好青年のキッチン担当にサーフビートを任せていたので、毎日客の相手をしたりサーフィンをしたりともう絶好調の毎日だった。



直美は出張の良い日々で、月に1〜2週間程戻るとまた出張の日々の繰り返しだったが、僕たちは直美の高給とサーフビートも順調で金には何の不足もなく、楽しい楽しい日々が続いていたのだ。

しばらくすると僕の倒産の処理をしている高江洲歳満弁護士から連絡が入り、会いたいと言うので行くと、何でもドームホームと言うものをアメリカから取り寄せたので、その販売をかけたいのだけど、この販売をする建設業者を募集して欲しいので、説明会を開いて欲しいと言うのだ。

まずは2名従業員を募集してあるので、君も彼らの指導者として参加して欲しいと言うので、しょうがない、お世話になっているんだし。まぁいいかと僕も参加する事にしたのだ。



2021年1月4日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…

https://kamosan.ti-da.net/e10459057.html



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