日本語の山はヤマであり、ヤマトのヤマは、古代の言葉では地球とか宇宙を表すらしい。
ヤマは天をも表すわけだ。
ヤマトと皇は天皇であり、山の皇ってわけだ。
うーん、ややこしくて、ふーんと言う感じにしか思わないわけだけど、そう言う風に古典学などを駆使して説明されると、何故か俺の父ちゃん中山勇吉は無茶苦茶頭が良くて、いわゆる天才だったわけで、俺が見た事も聞いた事も無い言葉、漢字を見つけて書けるかどうか出題するが、いつもスラスラ書いたわけで、もうその記憶の量は凄まじく呆れたもんだ。
つまり、そんな父ちゃんが戦争から帰って間もなく、與那覇と言う姓を中山に変えたのは、ひょっとしたら天の真ん中、宇宙の真ん中、つまり中山としたのかなーと思い出して、生きていれば質問したけど残念だ。
ま、中山とは宇宙の真ん中と思えばいい気分ってわけだ。
さて、アルクラに行く準備をしよう。
アルクラに行ってきた。
隆太がリハビリしてくれたんだけど、隆太のおじいさんは戦時中、日本軍で衛生兵の曹長をしていたようで、92歳まで長生きしていたようなので会いたかったな。
陸軍少佐だった俺の親父を、絶対知っていたと思うんだ。
多分、俺の知らない話なども聞かれたかも知れんわけで残念だ。
それにしても、あの世代で92歳はかなりの長寿で、俺の父中山勇吉は残念ながら60歳で死んだし、母は57歳で死んだので、二人ともかなりの若死にだったけど、俺はそれが普通と思って、自分の寿命も60歳と思っていたのだ。
それがもう77歳の喜寿を迎えようとしているわけで、17歳も年下の父は今考えればヤングだ。
父も母も、それぞれあと30年は生きて欲しかったな。
俺は104歳まで頑張って生きるぞ。
今日は短めのスソのスラックスで、マイケル・ジャクソンになったつもりで隆太やみんなに、”どうだマイケル・ジャクソンだぞ、今日は石原裕次郎じゃないからなー”、と言ったわけだ。
暑い一日で、もう真夏のようなカンカン照りだ。
だけど、それにしても相変わらずマスクの義務は本当に頭に来る。
コロナ騒ぎは治まってないが、俺はインフルエンザ、風邪としか思ってないので、チョー迷惑な話だ。
思い出して頭に来たので、今日はこれでオシマイ。
じゃあな。
2022年4月22日
人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…