①大体、中山のまーちゃんのアカンバ野郎に、あんなインチキなゲーム喫茶なんて出来るわけないじゃん。


①大体、中山のまーちゃんのアカンバ野郎に、あんなインチキなゲーム喫茶なんて出来るわけないじゃん。



Memories 55



Memories (55) -1/5



倒産からちょうど10年ぶりに宮古島に来たのだが、宮古島も少しずつだが変化を見せ始めてはいた

何よりも変わった点はサンエーの衣料館と食品館ができ、又別にカママ嶺店の食品スーパーがオープンしたことだった。



サンエーは順調に業績を伸ばしているなと思い、僕は嬉しかった。



実際に、嬉しかったのだ。



皆さんは、僕はさぞかし恨んでいるだろうと思ったかもしれないが、それはまるで違う。

サンエーそのものには、常に発展してほしいのが本音である。

第一、そもそもチェーン展開のスタートを切ったのは、まごうことなき僕であるし、これは折田喜作が生き返っても本当だと言うしかないだろうし、上地哲誠も否定できないだろう。

もちろん節子は否定しないだろうし、ジョウジだけがはっきりわからないだけだ。

そして今のサンエーの発展には、食品を扱ったことが大きいと思う。



折田喜作の猛反対を押し切って、食品スーパーをコザ店1階に持ってきたとき、その商品回転率の良さ、つまり資金回転率の良さに目をつけたからだ。

だからその後かねひでも、食品スーパーの展開で地元企業としてはサンエーに次ぐ巨大チェーンになれたのだ。

もしあの時、食品を扱っていなかったら今のサンエーは無といっても過言じゃないだろう。



そう、宮古島では相変わらずサンエーはきちんと頑張ってくれていたのも嬉しかったのだ。

しばらくは、あきらが”マージャンポン”で頑張り、僕は別に金も必要でもなくぶらぶらと、のんびりと過ごしていた。






そしたらある日、川上の敏坊が、”中山さん話がある”、と言うのだ。



敏坊は、何十年ぶりだったが、昔僕が高校3年で今言えば番長というか、そういう裏番長みたいにワンパク供を牛耳っていた頃、僕の命令で前原のカマちゃんと一緒に、高校の隣の農家の鶏を盗みに行った子供だったが、立派な大人になっていたわけだ。

顔だけは全くあの頃のままだったので、親しみはとてもあったのだ。



それで、”話ってなんだ”、と聞くと、”喫茶店を中山さんに作ってあげるからやらないか”、と言うのだ。

”なんで俺に作るんだよ”、と聞くと、”そのかわり利益の半分は俺にくれ”、と言うので、”なるほど、それでその喫茶店はいくらぐらい儲かるんだ”、と聞くと、”200万円ぐらいは儲かるから100万円ずつ分ければいい”、と言うので、”お前、喫茶店がそんなに儲かるわけないだろ”、と言うと、”いやゲーム喫茶はそれぐらいの稼ぎは結構出せるよ”、と言うので、”ふーん、ではやってもいいぜ”、と言って、敏坊に琉映館通りの、昔の田中ホテルでゲーム喫茶を作らせたのだった。



1ヵ月ほどして、僕名義のなかなか素敵なゲーム喫茶ができた。

ゲームも5台ぐらいある。

開店すると早速客が入り、なかなか順調だ。

僕は深夜にかけて見ることにして、昼から夜の9時ごろまでは従業員の女の子に見せることにした。



順調と言えば順調なんだが、やたらと高校生や、中には中学生も来るので見ていると、”おじさん両替してくれ”、と言うので、”何するんだ”、と聞くと、”ゲームをするのさ”、と言うので、”これは大人が遊ぶものだから君たちはダメだ”、と言うと、”変なおじさんだな”、とかブツブツ言いながら帰っていく。

毎日こういう日が続き、どうやら売り上げは激減だ。



1ヵ月経って、敏坊の社員の正が計算に来たら、50万円ほどしかなかった。

正はそれを2つに分け、半分が僕に渡そうとしたので、”正、この半分で女の子の給料等をひいたら、僕には少ししか残らない。とし坊は僕の取り分も100万円があると言っていたから、これは全部俺が取ると敏坊に言っておけ”、と僕が全部取った。

僕としては100万円には及ばなかったが、充分な収入で悪くはないなと、ポンではあきらに1円も配当を請求しなかったが、遊ぶ金には不自由せず、直美にも毎月10万円送金していたのだ。



そういう日々が数ヶ月続き、さすがに敏坊も困ったらしく、”中山さん相談がある”、と来たので、”何だ”、と言うと、”こう言うゲーム喫茶は、今学生で持っているんだよ”、と言うのだ。

つまり、学生を全部追い返す店と言うことで有名らしい。

その上、ヤクザの幹部までも平気で追い返すし、幹部の女も追い返すと言う無茶苦茶なオーナーと言われているらしい。



”中山さん、これでは金をかけた俺には1円の収入にもならないから、店を売ろうと思うんだ”、と敏坊が言うので、”ふーんなるほどな、それでは俺の収入もないんだな”、と言うと、”売った時、半分は中山さんにあげるよ”、と言うので、”それならいいよ”、と言い、その日は従業員にも店じまいを言い、正が清算に来たので、”金を全部、敏坊に渡せ”、と言うと、正はびっくりして、”いいのか”、と言うので、”後で敏坊がくれるらしいからいいよ”、と言った。

敏坊もちょっと喜んでいたらしいけど、後の事は店がちゃんと売れたのかも知れないし、もちろん僕の報酬なんて僕はもらったわけじゃないし、請求したこともない。



楽しい数ヶ月だったが、敏坊には厄介な人間を口説いたつもりが、大損な計画だったわけだ。



大体、中山のまーちゃんのアカンバ野郎に、あんなインチキなゲーム喫茶なんて出来るわけないじゃん。



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