想像の世界(1858)つまり我々日本人の祖先が、天照大御神ってわけだ。


想像の世界(1858)つまり我々日本人の祖先が、天照大御神ってわけだ。



”和を以って尊しとなす”、は、全ての日本の人の心の中に、今でも脈々と生きている聖徳太子の言葉である。

17条憲法の他の言葉は俺も忘れてしまったが、これだけは決して忘れられない言葉で、1400年も続く聖徳太子のこの言葉は、日本人の和の精神の原点だろう。

神武天皇以来2700年続く、初代から何代目が真の天皇だったかは定かではないが、アマテラス大御神、アマテラスオオミカミは太陽の化身であり、女性の神で、日本の天皇の祖先であり、つまり我々日本人の祖先が、天照大御神ってわけだ。



ま、これは日本の古代の神話なわけだけど、どっちにしろ2000年以上も続いている天皇は、”君臨すれども統治せず”、が元々原点であり、つまり日本人の象徴であるから、特に誰が教えたわけでもないが、俺の心にも、既に小学生の頃には根付いていたのだ。



だから、昭和、平成、そして令和の今も、天皇を大切に思う気持ちは俺の中では途切れたことはなく、米軍統治下の、沖縄の米軍のもとでの琉球政府時代も、気持ちはいつも日本人そのものだったわけで、だから親中で、中華人民共和国に擦り寄る、ハーフの玉城デニー沖縄県知事を選んだ沖縄県民の革新は言語道断であり、共産党大嫌いなことも、そもそも中華人民共和国の支那と、ソビエト連邦と、北朝鮮が大嫌いだったからで、つまらない政党で、つまらない政治家ぞろいの自民党も、共産党や他の革新政党よりは少しはマシだから、一応自民党を支持してはきたが、今や親中議員が目白押しの自民党も、もう世も末だなと思っていたわけだが、支持率も岸田文雄首相に至っては、間もなく20%を切りそうで、やはり国民の大多数は、日本の政治家の金儲け主義には。見切りをつけていると言うことは、日本人の大多数は、まだ、”和を以って尊しとなす”、の心があるのだろう。



つまり大多数の庶民は、まだ聖徳太子の、和を以って尊しとなすの心を、祖先の頃から連綿と持ち続けているのだなーとつくづく思うわけだ。

俺は小学生の頃には、敗戦の将である元日本軍少佐で、世が世なら、ま、宮古島で一番偉い男だった中山勇吉の、明るい優しい心を見て育ってきたわけで、子供には常におおらかに優しく接するわけで、決して一言も命令はしたことはなく、戦争で死んだ2頭の愛馬と、多くの部下と、多くの国民の追悼の祈る人生を、戦後の祈りの人生だと言うのを聞いた小学6年生の頃からの、俺の父を偲ぶ気持ちであり、つまり、同じく祈りが唯一の仕事である天皇にも繋がるわけだ。



つまり、祈りの気持ち、和の気持ちが、大多数の日本人の気持ちの底には流れており、知らず知らずの内に、外国人の気持ちの中にも、その日本人の気持ち、祈りの気持ちが通じているわけで、決して恨まない、広島や長崎の原子爆弾で死んだ人々を祈るだけの祈る気持ちはあるが、決して原爆を投下した、20万人の市民を殺した米軍を恨まず、ただ第二次世界大戦を恨み、祈るだけの日本人の和の精神は、全ての日本人に、今でも何らかの影響は及ぼしているわけだ。

ただ、現実は世界の欲と争いの中で、日本人も段々とむしばまれていくわけで、ついつい和の精神もむしばまれているわけだ。



ま、全ての企業も、概ね欲にむしばまれているのは、40年以上前に、レイチェルの沈黙の春を読んで以来の、企業の欲の世界と、商品の数々の欲の争いの醜さを知り、全ての企業活動から身を遠ざけるつもりで故郷の宮古島に帰ってきたわけだが、そして居酒屋を天職として、のんびり気ままに自由な居酒屋人生を始めたわけだが、ついつい調子に乗って商売にまた精を出す始末だ。

すまじものは金儲けとは思っているがね。

欲しくもないが、なければ困るし…

うーん。

じゃあな。



2024年8月17日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
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中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



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