先日兄と話をしていたとき母の話になって、母が1番大切にした事は、”品”、のことで、人を、”品”、があるか無いかで評価したと言う話が出た。
なるほど、そうだったなーと思い出したが、またその話の中で、母は外面は一見品もあったが、家の中ではそうでもなかったなーと言う話になった。
僕の記憶の中の母は、確かに宮古で1番きれいな女性とは思うが、1番きつい女性で、僕は母はとても懐かしく思い出すが優しくされた思いではなく、しっかりしたやり手ではあるが、僕や子供たちにはそう優しい母ではなかったと思う。
僕の記憶では唯一品の良い人は平哲彦の母の敏子お母さんが品のある人で、それは優しい思いやりと結びついている。
例えば子供の頃、鉄彦と遊んでいてボールを投げやっていると、鉄彦の弟の靖彦が、“これは俺のだ返せ”、とダダをこねた。
ま、僕らが3年生で靖彦は1年生だから、ある意味ではお互い我がままだったかも知れないが、僕は
“うるせー”、と聞かない。
すると泣き叫ぶ声を聞いて出てきた敏子おばあさんが、優しい声で、”どうしたの“、と言うので、靖彦は母のバックがついて、余計に、”返せー“、と泣き叫ぶが、僕は、”僕たちがボール投げして遊んでいるのに、靖坊が返せと言うんだ“、と言うと、敏子おばさんは、”それはマーちゃんの方が正しい、靖坊が泣くのをやめなさい、おいで“、とピシャリと言って、僕たちには笑顔を残して、靖坊を連れて家の中へ行ったのだった。
さすがに後味が悪かったので、もうボール投げもやめて別の遊びを始めたような気もするが、あの時代そういう敏子おばさんみたいな、笑顔ですべてに明確な意思を示す女性はいなかったと思うし、何よりも常に優しかった。
そもそも我が家にわざわざ訪れて、”光姉さん、マーちゃんと鉄彦を友達にしてください“、なんて頼みに来るなんて母が、他には考えられない時代だったし、今でもあまり考えられない教育熱心と言うより、子育てに明確な意思のある母だったと思う。
日本中には素晴らしい女性や男性は数多くいると思うが、僕は敏子おばさんが1番好きで、そのせいで雄良おじさんは1番カッコイイ男として今もずっと思い出に残り、雄良おじさんには僕の倒産でちょっと迷惑もかけたなぁと今でも残念無念な気持ちはあるのだ。
多分鉄彦はその事は知らないと思うし、ま、雄良おじさんに直接迷惑をかけたのではないことだけは言っておく。
こうして兄と、母の金に関する話などで話も弾んだもんだが、兄は品はある方だと思うが、それは敗戦までの良い暮らしのおかげと、可愛く生まれたおかげもあり、僕もそれなりに良い育ちを小学3年まではしていたと思うので、品良くなる要素は充分あったことはあったのだ。
ただ我が家には、僕のいる余地はあまりなかったので、外で暴れ回るしか楽しみもなく、もともと勉強は小学1年生でやめているので、一切本など開いたこともなく、やはりこれでは品よく育つ余地もあまりないわけだ。
こうして小学6年の2学期からは沖縄でシャーロックホームズとアルセーヌルパンで暮らし、中学、高校、家出でアフリカを目指すも宮古島へと舞い戻り、水産高校のゴロつきどもや、沖映館にたむろするチンピラ青年を脅すを日課にしていると、品などとはまるで無縁に暮らしたわけだが、ある日確か吉村といった同級生が僕に、”誠はとても品があるなー“と言うのだ。
これにはさすがにびっくり仰天したな。
ま、うん、分かる奴には分かるんだなーとも思いはしたが、何せ品の良いと言われる事はやったこともなく、誰かに言ったこともなく、先程言ったように一生で敏子おばさんにしか感じたこともないので、青天の霹靂(へきれき)の出来事で、おかげで今も忘れられないわけだ。
その後も右翼とも言われ、ゴロつきみたいとも言われ、ヤクザとも間違われ、かなり恐れられたりされたもんで、まず一生に1度だけの、あの品がいいと言う言葉が、僕にとっては忘れられない宝物だな。
吉村はその後沖国大の教授になり、琉大の教授になったと聞いたが、クラス会や同窓会に来たことがないのが、とても残念だ。
母がよく語った品格については、どうも上辺的なイメージが付きまとったし、なかなか本物の品格のある人間には会ったことがないのは残念だ。
僕に、誠が品があるな、と言ってくれた吉村などは大学教授ともなり、おそらく品格のある生き方をしているのかもしれない。
後はやはり人に対する思いやりと言う点で、やはり敏子おばさんの意思を受け継ぐ、平良家の兄弟姉妹も品格のある人たちと思うし、僕の兄弟も悪くはないが、兄と公子姉さんは充分品はあると思うし、僕を育てたハツおばさんが最も品のある女だったと思う。
僕の父と同じく、沖縄女子師範学校で、入学以来ずっと特待生でずば抜けた成績だった天才だったし、平良中の平良寛校長の妻ながら、宮古島で養鶏を育てた飼料店の代表として商売でも成功したのは、僕が小さい頃、和裁をしながらコツコツとわずかな金を貯めていったことをよく知る僕としても、誇りでもある。
そしてこれらの人々に共通しているのが、相手の痛みを知り、何らかの助けになれればと、おもんばかるところだろう。
僕も昔からよく寄付をやったり、友や後輩も助けてきたが、もう1つ言える事は、今のようにブログで日記でも開示しない限り誰も知らない事でもあり、また一人ひとりの友や後輩などが頼ってきて、気持ちよく助けたとしても、まず感謝されたこともないし、まして返金してもらったこともないわけで、結果としては詐欺にあったようなものだ。
だから金ではなく、絶対金は貸さないことだと思う。
それより学校とか図書館とかに、きちっと人々の役に立つようなものを寄付することを勧める。
1番品のないのはやはり政治家だと思う。
毎日テレビでは政治の番組には目を通すように努力しているが、大体すぐ別の番組に変えるは、つまらないしあまりに情けないからだ。
ときには多少人々の役に立つ話もあるが、概ね役に立たない争いが多い。
行政においても今は無駄があまりに多く、また書類と手続きの多いことにはほとほと閉口する。
世の中で1番役に立っているのは警察だと思うので、せめて警察だけでも無駄な手続きと書類に埋め尽くされないようにと願う。
もちろん病院も然りで、宮古病院で朝の9時から12時過ぎまで待たされ、やっとそれから脱出できたと思ったら、下地診療所でもまた同じになる。
やはり何かが狂っているとしか思えないので、何とかしてほしいもんだ。
今日は朝からずっと品格について考えてきたが、品格など思いやりのある人々に共通する話であって、思いやりのない品格などは決してある筈がないので、僕の母が言う品は、金のあるなしで陥りやすい上辺の品ではないかなと思う。
でも母の言う品のある人間にはなれなかったかも知れないが、できるだけ思いやりは残しておきたいと思う。
2019年2月7日
人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
https://kamosan.ti-da.net/e10459057.html