石橋茂は、表情、態度、喋り方などで普段から何となく卑怯な感じを受けていて、そいつが何度も自民党の総裁選挙に立候補するのにもさっぱり分らなくて、国会議員も質は落ちる一方だなと思っていたら、今回の選挙では、当初2位になっていたので意外な気持ちでいたら最終的に当選してしまって、日本の首相にまで昇り詰めたわけで、もう世も末で、日本の政治も終わりだなーとガッカリしたもんだ。
卑怯者だとは思っていたが、実際に以前決まっていたイラク訪問を3度もドタキャンしたらしく、やっぱりそうか、卑怯者は間違いなかったのだなと分かったわけだ。
こんな奴を首相に選んだ自民党は、もう最低の政党に成り下がったわけで、そうすると、ましてや他の野党はまだひどいわけで、もう国会議員はつまらん奴ばかりとなるわけだが、そうすると他の県会、市会、町会議員の質はもっと劣ることになるわけで、俺も昔、宮古島を良くしたいとの思いで、親友の下地敏彦に市長になることを勧めて、それで敏彦は市長になったわけだが、やはり宮古島のトップに登り詰めても取り巻く世界はかなりドロドロしていたようで、結局それに巻き込まれて流されて、更に金による誘惑にも勝てなかったようで、つまらん収賄事件で有罪になったわけで、それで3期勤めた市長を途中で降ろされてしまったわけだ。
組織の醜さは、もう幼い頃から嫌と言うほど知っていたわけで、おかげで育ての親のハツおばさん以外の他の大人の言う事は、ほぼ俺にとっては理不尽な指示命令なので、アカンバ、絶対嫌!と言うことに従わなかったもんで、それが顕著に現れたのが、小学校入学と同時に担任の桜井ひろ子先生の、みんなと同じことをしなさいと言う命令で、それで登校拒否したわけで、宮古島では初めての登校拒否児童となったのだ。
ま、俺の登校拒否は、石破茂の卑怯なドタキャンと違って、大人の理不尽な命令に対する登校拒否だったわけだ。
今も日本全国では理不尽な大人の指示命令はまかり通っているわけで、もう4歳ともなると大人の勝手な都合による指示命令は至るところに満ち溢れており、子供の世界も大人の世界も全て騙し合いの世界で、卑怯な世の中で、その中でも顕著な卑怯者が日本の首相にまで昇り詰めたってわけだ。
さて、18世紀までの世界の識字率は、数%から10%ぐらで、近代化を成し遂げた国でさえやっと30%ぐらいで、日本の江戸の街の識字率は寺小屋により50%を越えていたようで、つまり日本の識字率は一般庶民にまで広がっており、漁師や農民でも字が読める日本の江戸の街は、訪れる外国人を驚かせたようだ。
また、例えば戦後の日本では、小学校に上がってから初めて文字、数字を学ぶわけで、俺は幸いにも沖縄県女子師範学校の優等生トップのハツおばさんとの、毎晩のゲームで壁に貼ってあった表で、様々な文字、数字を学んでいったわけで、もう7歳で小学校に入学する頃には、小学4年生ぐらいの知識があったわけで、とてもじゃないが初めて文字、数字を学ぶ他の児童と同じことなんか出来ないわけだ。
つまり、漢字の少年画報や冒険王などの雑誌が既に愛読書だった7歳の俺が、つまり小学校の高学年から中学生ぐらいの愛読書を読んでいた頃に、みんなと同じ、”あ”、から始め、”1”、からの練習が必要とは思えないわけで、だからみんなと同じことは出来ないのに、桜井ひろ子先生はそれを強制するわけだ。
おかげで、入学2日目で登校拒否になってしまったわけだ。
幕末から明治にかけての日本で、咸臨丸に乗りアメリカに行った福沢諭吉が、西洋の文明文化に初めて触れたわけだが、日本の江戸の庶民の方が一面優れていることが分かったと俺は思うんだ。
何せ日本の寺小屋では微分積分さえ教えていたようで、これは俺も高校生で初めて見た方程式だったわけだから、160年の明治維新の頃はかなりの高等数学で、アメリカの庶民にはとても触れた者などいない筈で、それだけ日本の民度は高かったわけだ。
福沢諭吉のモットーは、”独立自尊”、だったそうだが、俺も4歳からずっと独立自尊で、一般の大人の理不尽な指示命令は全て拒否していたわけだ。
だから一見素直な子供にはとても思えなかったわけで、ただ当時の小学校ではまだ選挙などはなく、全て成績により議長を決めていたわけで、生徒会長は先生が決めていたので、当時成績では俺が学年1位、奥原典一が2位、下地敏彦が3位だったが、先生の言うことに素直に従う敏彦が、平一小学校の生徒会長に選ばれたわけだ。
選ばれなかった俺は、逆に大喜びだったがね。
ところで明治維新から今日までたったの160年しか経っていなくて、その間、明治天皇、大正天皇、昭和天皇、平成天皇、令和天皇と4代も変わっているのだ。
時の過ぎるのは早いもので、まさに光陰矢のごとしだ。
じゃあな。
2024年10月21日
人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…