想像の世界(1928)風の噂で由市が死んだと聞いたのは、60歳を過ぎた頃だったわけだ。


想像の世界(1928)風の噂で由市が死んだと聞いたのは、60歳を過ぎた頃だったわけだ。



勇気のある男は何名かは知っているが、女性ではやはり深田萌絵が一番なのではないかと思う。

何せ国連にまで行って告発しているのは、流石に彼女しかいないのではないかな。

特に台湾のTSMCを告発したり、国際問題にまで踏み込んでいて、英語力もかなりの実力には驚かされる。

俺も若い頃はコザ市育ちで、米軍の若いGI達とブロークンイングリッシュでペラペラと会話も楽しんだこともあるが、20代以降は英語を使った経験は全くなくて、今ではすっかり忘れているが、深田萌絵は英語力はかなり凄いようで、英語を使っての仕事も多いようだ。



小学校に入学して担任の桜井ひろ子先生と言う、若い可愛い美人の先生の理不尽な命令には呆れて不登校になったわけで、それ以来勉強はやめたので、ただ中学1年生で初めて英語を知って以降はどんどん英語の単語を覚えて、そしてすぐに米軍基地の野球グラウンドで試合をしている若い米兵相手に、試しに覚えたての英語を使ってみると通じて、相手も面白がってベラベラと相手してくれるので、毎日学校帰りに米兵と話をしていたわけだ。



こうしてコザ高校の1年生の時は、親友の当銘由市が、島袋のアメリカの商社の事務所の泊まり込みでのアルバイトをしていたので、毎晩のように俺も遊びに行って、ステレオでアメリカの歌をかけてツイストを踊っていたわけで、由市がアメリカ人の社長に連れられて何回か乗った、大きなアメリカの自家用車のキーも事務所にはかけられていたので、”まーちゃんドライブしようか”、と言うのでびっくりして、”お前運転出来るのか”、と聞くと、社長がやるのを見ていたと言うのだ。

そして一緒に深夜のひっそりとした夜の道をドライブしたら、これがものすごく器用に運転するので、かなりのスピードで夜中の街を突っ走って、毎晩ツイストを踊ったりドライブしたりと、高校1年生の夜は楽しく過ぎていったのだ。



俺はコザ中では2番の成績で、勉強はまるでしなかったのに、ものすごい記憶力ですぐに何でも覚えたが、由市は一応のノートもしっかりとっていたが覚えようとしないので、学年では50番以下ぐらいで、3と4ばっかりで、5話はまるでなくて、オール5の腕とは大分成績の差はあったが、いわゆる身体能力が優れていて、後日、高校を卒業したらすぐに運転免許を取り、タクシードライバーになったわけだ。



一度は彼のタクシーで遠い遠い北部の街、東海岸にある由市のおばあちゃんの家までドライブして、往復では5時間以上のドライブだったわけで、俺の青春はいつも由市と一緒だったが、俺は大学生になり、由市も東京でタクシードライバーになったわけだが、それ以来中々会えなかったわけだが、俺がサンエーを伸ばして沖縄一の企業にした頃、久しぶりに由市から電話があり、タクシードライバーをしながら時々BARに飲みに行っているが、そこのバーテンの仕事も覚えたので、まーちゃんは今金がいっぱいあるとの噂を聞いたので、俺のスナックを作ってくれるかと言うので、早速コザ市に一番高い7〜8階建てのビルが出来て、ちょうど一室空いていたので、そこにスナックを作り、東京の由市にスナックを作ったので来いよと言ったら、じゃあ旅費を送ってくれと言うので、”由市、それはちょっと甘え過ぎだ、沖縄へは自分の力で帰って来い”、と言ったが、それっきり連絡がなかったので、スナックはビルの家主にあげたわけだ。



その2年後ぐらいに、俺は大阪の千里中央に公団マンションを買って住んでいたら、今度は四国の女性が彼女になったので四国に来ているが、スナックが売りに出ていて300万円で格安なので、買って彼女と経営したいので300万円貸してくれと言うので貸したけど、1年もしないのに彼女が浮気しているので別れたと言って、300万円は取り返したと言って今度はちゃんと返してくれた。

それ以来30年以上会ったことはなかったが、風の噂で由市が死んだと聞いたのは、60歳を過ぎた頃だったわけだ。

その時が、俺の青春も終わったわけだ。



ちなみに20歳で東京のゴーゴー喫茶と言うスナックに、たけのこ族のような衣装に着飾った男女が集まってツイストを踊っているのを見て、みんなで楽しそうに集まって踊ってはいるが、俺も飛び入りで一緒にツイストを踊ったら、コザ仕込みの俺のツイストのあまりのウマサに、みんな踊りを止めて、それで、あとは俺一人で踊っていたわけだ。

由市はいなかったが、俺は何曲も踊っていたわけで、多分その後の東京の夜のダンスには、革命が起こったのではないかな。



それにしても、みんな竹の子族のようにヒラヒラした衣装で着飾っていて楽しそうだったが、ダンスは下手くそだったな。

俺は誰も相手はいなくても、衣装と言ってもジーパンにTシャツだけで、その何年か後に見たアメリカの映画の若者たちの踊りのような格好だったわけで、俺からすると、あいつらの衣装の方がダサイ格好だったわけだ。

俺は、青春の真っ只中だったのだ。

じゃあな。



2024年10月26日



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