想像の世界(745)ま、俺の一生は今日まで全て運が良かったわけだ。

想像の世界(745)ま、俺の一生は今日まで全て運が良かったわけだ。



夢と現(うつつ)の最中のうつらうつらな中で、科学至上の世の中について考えていた。

つまり、科学が神にとって変わった世の中はどうなるんだろうと考えていたわけだ。

すると、やはり共産主義、社会主義の世の中は科学至上主義にとって変わって行くだろうなと考え、今、中国共産党新派のDrファウチの科学至上の発言で、新型コロナウィルスを作り上げた手法は、結局人の命さえも物のひとつとして使い捨てる独裁政治に繋がると思うのだ。



トランプ大統領時代にも既に中国共産党と繋がっていたDrファウチの話姿には違和感があり、どこか卑怯さを醸し出していた。

不思議なもんで一見説得力のある、一見筋の通っているような話でも違和感を醸し出す、どこか卑怯な話をする奴は世の中に満ち溢れているもんで、その最たるもんが科学至上主義だ。

科学万能で、科学で証明されたと言えば真実ってわけだが、科学の真実でさえ覆る時だってあるのだ。



だから神も俺は一人一人が信ずる神を持てばいいと思うだけで、俺は俺の、”誠の神様”、にイザと言う場合は頼るだけで、万人向けの唯一至高の神はいないと考えており、だから人それぞれが、それぞれの神を持てばいいと考えており、人の考えを否定はしないわけだ。

結局Drファウチのような卑怯物の科学至上主義者が科学を否定しているわけで、中国共産党の一見正しい理屈のオンパレードが、新疆ウイグル等での粛清と言う名の抹殺でのジェノサイドを生んでいるのだ。



科学至上主義ならぬ、漢人至上主義で、漢人以外の人種は抹殺してもいいわけで、漢人も共産党以外は殺すのも平気で、共産党員も上の命令は絶対で、それに歯向かう者は粛清され、ついには独裁者が神となるわけだ。

つまり、科学も神も独裁者の意のままというのが共産主義の行き着く究極の姿ってわけだ。



考えてみれば中国と言う国は、昔から素晴らしい素敵な詩にも溢れており、日本も大分それを取り入れて来たが、反面勝手総取り思想で、敗者を即抹殺して滅ぼして来たわけで、その度に国の名前も瞬時に変わるわけで、中国4000年の歴史はそれをはっきり示しているが、何故か日本人も世界の人々も、それを崇める風潮は無きにしもあらずってわけで、俺もちょっと憧れる面もあったが、流石に今の中国共産党だけは鼻から虫が好かず、18歳の時に中共も、革マルも、中革も、みんな信じる事が出来なかった。

せめて中国人は別で、中国共産党員と中国民とは別と分けて考えて来たが、ウィグルでのジェノサイドの全ての中国人によって引き起こされている事を考えれば、中国人そのものの中に特に強くその性格は生き続けているのじゃないかな、と考えてようにもなって来たのだ。



勿論、中には素晴らしい人、素敵な人は中国人の中にもおり、卑怯な奴、醜い奴が日本人の中にもいることと同じだが、そのどっちが現れやすいかの問題で、古き良き時代が2000年以上にも続いた、”和を持って尊しとなす”、日本人に根付いている助け合いの精神、博愛の心はまだ残っていると思うのだ。

俺もだから何度も人に裏切られ全てを失い、無一文にされた事も何度かあったが、すぐに立ち直ってケラケラと笑って過ごして来たし、何名かの人には優しさも示され嬉しかったわけで、常に人生捨てたもんじゃないと思って生きて来た。



沖縄でも内地、日本本土でも、それは日本人として同胞として常に感じていたわけで、ただ若い頃の昔々は差別的な人間に出会った事は何度かあり、そう言う馬鹿な奴、そう言う本土と沖縄を差別する馬鹿な奴は、その差別そのものの中に自分の弱さ、己の無知を示しているとスグに分かったわけで、俺は常に即無視するのだった。

今でもそうだだが喧嘩に勝つ方法はまず無視する事が一番で、次にやるからには命がけで、そして決して諦めない事で、当然行き着く最後は殺し合いで殺したほうが勝ちってわけだ。



そう思って生きて来たわけで、元々馬鹿でもアホでもないし、想像力も人一倍あった方だったから、つまり恐ろしいと言う事も人一倍感じる方だったし、と言う事は、馬鹿度胸はある方では無いわけだ。

馬鹿度胸はチンピラ、半グレ、ヤクザの方がよっぽど上なわけだが、幸い俺はそいつらに絡まれても全て切り抜けて来たし、勝ち抜いて来た。



一度は徹底してやられ続けたもんで、結局勝っている筈の相手が負けたと言い出して謝る始末で、それは俺の諦めないしつこい反撃によほど手を焼いたわけで、最後そいつはプロのボクサーと打ち明けたわけだ。

ま、顔をドッチボールぐらいにやられ、目もふさがり腫れ、傷だらけにされたが勝ちは勝ちだ。

こうして結果は連戦連勝、負けなしってわけだ。



ま、俺の一生は今日まで全て運が良かったわけだ。

こうして運良く生き延びている俺のような奴もおれば、新疆ウイグルや、チベットや、南モンゴルなどで、虐殺され死んでいった何百万人の人々や、何千万人と言われ、その数は6,000万人とも8,000万人とも言われる同じ中国人の人々を殺した毛沢東も、今は英雄として北京の赤の広場にはその巨大な写真が飾られているわけだ。

今、第2の毛沢東になろうと習近平は躍起になっているが、世界はやっと中国の悪の覇権に気がついたわけだ。



こんな馬鹿馬鹿しい共産主義の目指す事は、50数年前、18歳の俺は気がついて、その後アメリカのニクソンや、日本の経済界の北京詣(もうで)が始まった時も、全く馬鹿げている、中国での金儲けなど、すぐ裏切られるぞ思ったもんだ。

今、正にその通りになっているのだ。

そして正にその通り今でも、まだ欲に駆られた輩は中国共産党と手を組む親中派として、世界中に蔓延っているわけだ。



日本の経済界にも無数の親中派と言う、悪の欲の権化どもが蔓延っている。

これらはアメリカ民主党はおろか、共和党にも無数におり、中国14億人のもたらす利益に群がるアリみたいなもんで、蜜のある所に、群がるアリはつきもので永遠にいなくなる事はないだろう。

ま、それが嫌なら蜜の味を忘れるしかないな。



俺も甘い蜜の味は忘れ、花の香りに囲まれた最後の楽園を作ろうってわけだ。

蜜の味を追い求めると、元々太る体質でもある俺の体は70kgはすぐに突破して80kg、そして100kgにも達するだろう。

要するに無駄に太るだけの食事も、結局蜜の味に群がるようなものだが、甘い蜜の味よりも、花の香りと、美しさに憧れる方がロマンチックってわけだ。

ロマンより実益を選ぶ欲の権化だらけの世の中で、ロマンを求める方がよっぽど幸せだと俺は思うのだ。

君はどう思う?



2021年6月22日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…

https://kamosan.ti-da.net/e10459057.html



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