想像の世界(2085)ところが、島国の日本では、かつてハッキリと奴隷と呼べる程の人間はいなかったわけだ。


想像の世界(2085)ところが、島国の日本では、かつてハッキリと奴隷と呼べる程の人間はいなかったわけだ。



太古の昔のヨーロッパなどでは、民族の多くは1%ほどの王様と、99%の奴隷が働いていたと言うのだ。

その後、数%の貴族が生まれたと言うのだ。

俺もかなりの奴隷がいたとは思ってはいたが、そうらしいので改めて驚いているわけだ。

ところが、島国の日本では、かつてハッキリと奴隷と呼べる程の人間はいなかったわけだ。



ま、琉球も昔はチャイナとの貿易の為に、4〜500年程はチャイナに与えられた尊称としての、琉球国を名乗っていた時代もあったが、昔々は日本の各藩が、薩摩の国などと各藩ごとに国を名乗っていたようなもので、各藩は、いわば各藩ごとに国と言っていたようなもので、沖縄のDNAは縄文人であり、内地の縄文人のルーツは、逆に沖縄にあると俺は勝手に想像して生きてきたし、言葉は標準語の方が少し特殊なわけで、沖縄の方言も、九州や大阪、北陸とみんなそれぞれナマっているが、言葉の語源もほぼ同じなわけだ。



沖縄そのものも、地区によってはナマリが結構違うわけで、宮古島だけでも、佐良浜、池間島、西辺は共通しているが、平良からすると、もう分らないわけだ。

この小さい宮古島ですら、言葉のナマリはアクセントの付け方そのものからしてまるで違うわけで、佐良浜などは、よく飛び跳ねて聞こえるわけで、ま、沖縄でいえば糸満が似ていて、俺なんか小学6年生の2学期からは、コザ市、今の沖縄市で暮らしていて、糸満の言葉は聞きづらいが、那覇や首里までは大体分かるわけだ。

もっとも、沖縄民謡でも、昔風の歌などは聞きなれない言葉も多く、それでも宮古島出身者としては、宮古島の方言は少し苦手で、逆に沖縄方言はよく分かる方ではあるわけだ。



ま、6年生の頃に俺たち中山一家は、コザ市の58号線沿いの諸見の大通りに面した家を借りて、中山テイラーと言う店を経営していたが、その58号線は急坂になっていて、俺たちの住む58号線沿いの店は、58号線からは1階だが、坂からは2階にあたり、そこには家主の新城さん一家が暮らしていたが、俺はそこの3歳になったばかりの男の子から、毎日沖縄方言を習っていて、おかげで中山一家内俺だけは、沖縄方言が話せるわけだ。

いわば沖縄方言の先生は、3歳の幼児だったわけだが、逆にその頃、その男の子は標準語はまるで分らなかったわけだ。



ま、お互いは別の惑星の異民族みたいなものが、徐々に言葉を理解していくようなものだったわけだが、20歳の頃に、東京のヤクザ風の40代そこそこの男に、べらんめー調で脅された時も、言葉があまりにも標準語とはかけ離れていたので、驚いて喧嘩をする気にもなれず、呆気に取られて離れていったわけで、当時の体格からすると勝てる相手だったかも知れないが、べらんめー調の凄みは聞き取りづらく、やはり言葉が違う凄みは効くもんではあったとも言えるわけだ。

ま、それ以外では、散々殴られ、何度も何度も倒された相手がたまたまプロボクサーだったわけだ。



ま、それ以外は連戦連勝ではあったが、24〜25歳ぐらいで喧嘩はやめることにしたのだ。

ま、連戦連勝といっても、そのほとんどは言葉の凄みのおかげで、一番最初は逆に標準語だが、早口でまくしたてて、態度はもの凄い形相で睨んで凄むだけで、大体勝てたわけだ。

兎に角、まずは言葉ありきってわけだ。



身長169cmで、1クラス男子25人もいたが、その中ではクラス3番目の身長で、当時の沖縄では165cm以上は一応高身長だったわけで、低いものはやっと150cmぐらいのもので、平良鉄彦なんか、175cmでクラスで1番背が高く、職業課程も入れて8学級の中で一番背の高いのは、180cmをただ1人越えていた男で、次が175cmの平良鉄彦だったわけだから、今の俺なんかが背の高い方だったが、今じゃあ加持さん何かは、さしずめチビの中に入るだろう。

ま、多分165センチを越えたぐらいでも、昔は背が高い方に入ってはいたわけだ。



今の若い世代では、170cmが普通かも知れないわけだ。

ま、アルクラは老人ばかりだから、俺の168cmでも背は飛び抜けて高い方に入るわけだ。

30代の後半で、一緒に会社を作ったフランクなどは162cmぐらいで、日本人の中にいても背は低い方だったが、体格はもの凄く良かったもんだ。

このようにガッチリしている方が、やはりヒョロヒョロしているよりはいいもんで、フランクはガッチリしていて見栄えはすごく良かったものだ。



俺はフランクと一緒の会社は1年で潰したわけだが、 直美の母の千代ちゃんから借りた300万円は、ま、借りると言って、身内の金は返済する意味はほぼなかったもんだ。

勲兄さんからは、1億円ぐらい損はさせたが一度も返済はせず、それでもいつもケラケラ笑って付き合っていて、それで勲兄さんにも、公子姉さんにも可愛がられているのは謎だなー。

仁なんか、特に借金もないのに、勲兄さんと仲が悪いのも謎だな。

ま、世の中謎だらけってわけだ。

じゃあな。



2025年4月9日



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