アカンバ・まーちゃん(余談11)
真栄城忠之、つとむが死んで一年も過ぎた。
”去る者は日々に疎し”、とは言うが、逝く者はもうこの世に存在しないわけで、本来なら俺も8年8ヶ月前に死んでいただろう。
脳出血で倒れ、意識不明が4〜5日続いて宮古病院に目覚めたわけだけど、それからの1ヵ月と、那覇市の大浜病院に転院しての4ヶ月半のリハビリの記憶は、途切れ途切れで余り残っていなくて、つまり半年余りはもう死んだようなもので、記憶はあまりないのだ。
一番鮮明に覚えていて、それからガラッと気持ちが新鮮に甦ったのは、大浜病院を退院して家に帰って来た時に、テラスがバリアフリーで、家の玄関から10坪程増築されていて、上にも格子が組まれていて伸び伸びと広がっていた事と、コンテナハウスが内装をきれいにリニューアルしてあった事で、見るからに、”さぁ、新生活が始まるぞ”、との思いがムラムラと沸き起こって来た事だった。
それから下地診療所へのリハビリ生活が始まったわけだが、リハビリ生活では間もなく仲間克、元の城辺長町で土地改良区の所長との思い出が一番思い出されるが、俺がアルクラへ移って一年程して、あんなに大元気だった仲間克が亡くなったのにはびっくりしたものだ。
家に遊びに行くと言った約束も実行出来ず、本当に残念だった。
あの仲間克も、逝く者は日々に疎しで、せめて俺がたまには思い出してやらないと、今ではこの世にも存在しないわけで、もう無意味な存在ってわけだ。
真栄城忠之、当銘由市、新田栄輝、喜友名貴美枝と、親友が次々と亡くなって、日々も過ぎれば思い出す人も少なくなっていくわけで、ま、俺は比較的記憶の鮮明な方だが、実はしょっ中日記で記憶の再確認をしているおかげなのだ。
やはり何度も何度も書き残さないと、どんどん記憶が薄れていくのだ。
”思い出”、として半生記も二度書いたが、記憶を思い出す為に二度書いたが、もう少しずつ忘れ始めている。
徒然草とはいかないが、リハビリ日記としてブログが始まったのは、俺が記憶の再確認の為に日記を書いている事を加持さんに話したら、加持さんがブログにしましょうかと言うので、最初はそんな事が出来るのかと半信半疑だったが、リハビリ日記としてブログに上がってからもう4年も経つわけで、つまり俺の73歳の時に始まり、間もなく77歳なのだ。
こうして俺のダラダラ日記も大分続いているわけで、ブログに上がってからが4年目だけど、記憶の確認と字を思い出す為に日記をつけ始めたのは何時だったのかは、もう覚えていないのだ。
8年もリハビリを続けて、毎日の運動も欠かさず続けているのだが、”継続は力なり”、とはよく言ったもので、ダラダラ日記でも続けると言うのは最高のリハビリで、アルクラも回数は減ったものの、続けていることでアルクラのスタッフの方々と20名余りのメンバーの方々との会話が一番のリハビリで、やる気も湧いてきて、日々新鮮ってわけだ。
真栄城忠之を思い出している内に、由市や、栄輝、エンターや貴美枝の事などを思い出して、更に外を眺めて日々新鮮な気持ちに立ち返っているわけだ。
逝きし日々も思い出になり、新鮮に蘇るってわけだ。。
2022年4月29日
人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…