楊海英の、”中国を見破る”、と言う本を今読んでいて、異なる視点を獲得し次のチャイナリスクに備えようと言うことで、俺はこの数年、第3次世界大戦にどう備えたらいいかと考えているので、つまり常に次のリスクにどう備えるかとのことに頭を悩ませているので、すぐにこの本に飛びついたのだが、想像以上にずっと面白い本で、最近読んだ本の中では一番面白いかも知れないなーと思っている。
相変わらず一日に数ページしか読み進められないわけだけど、何せ本も文庫本タイプで余計に字は小さいし読むのは大変だけど、今考えたら高校生の頃は一日に最低2冊以上、3冊ぐらいは毎日図書館で本を借りて読んでいたので、つまり何十年もかけて学校の図書館が揃えた小説を数年で全部読み終え、その後の大学でも大分読み、今もあまり買わなくなったが、それでも月に数冊は買っているが、この楊海英の、”中国を見破る”、は本当に面白いのだ。
そして読みながら、頭のいい男だなーとつくづく思うわけで、俺が好きなモンゴル出身、今の南モンゴル、チャイナの内モンゴルとなってしまっているところの出身で、チャイナの学校で日本について学び、日本語も覚え大学まで進み、遂に日本まで来てしまい、更に学習をして今は静岡大学の教授をしている男だけど、同じ外国出身の教授の中でも親日派で、こういう方が当たり前で、中にはしょっ中反日発言を繰り返す女性の教授もいるわけで、こういう人を教授にしている大学に通う生徒の気持ちが俺には全く想像もつかないわけで、俺が父兄ならすぐに罷免を要求したなと思うわけだ。
また、楊海英は俺の大好きな清水ともみの漫画本、”墓標なき草原”、の監修にも携わっているわけで、俺はこの本もすぐに注文するつもりだ。
それにしても本一冊の編集だけでも大変な仕事だなーと思うわけで、俺も半生記を本にしようと今頑張っているが、もう一年近く頑張っても中々はかどらない始末で大変な作業なわけで、だから直美がよく小説を書けと言うが、自分の半生記でさえ中々はかどらないのに、小説なんか一生書くつもりはない。
こうして日記を書いているのが精一杯のことであり、それでも毎日一時間以上、時には2時間以上も書いているわけだ。
今日はアルクラに行く日だけど、雨模様の天気で右半身はズキズキ痛むし休むことにした。
今も、特に右大腿骨の裏側はものすごく痛むのだ。
耐えられる限界すれすれの痛みで、これが全部神経の命令と思うが、半身不随になって11年間過ぎるが、この間ずっと痛み続けているが一番幸せな時間だとも思ってるのだ。
昨夜はアルクラに行くつもりで11時にはもう眠っていたが、直美は11時頃に恭子ちゃんと一緒に帰って来たようだ。
今、恭子ちゃんのお土産のクッキーを食べたところで、おいしいクッキーも食べたので今日の日記はコレデオシマイと思ったら、やっと陽が照って来たので、もうしばらく日記を書くことにするが、さて何を書こうかな。
そうそう、久しぶりに、90歳を迎えた死んだ若い特攻隊員の兵士の妻の詠んだ歌、”かくまでも、醜くき国になりたれば、捧げし人のただに惜しまる”、との気持ちが痛い程に分かるので、この79年間、平和な日本でさえ醜い国に成り下がっているので、中国、チャイナと北朝鮮、韓国、そしてロシアを想像すると、もうどれぐらい醜いのかは想像を絶するぐらいで、それだけに、平和な日本に生まれてどれぐらい幸せかを考えずに、つまらん政治をやったり、つまらんことをする奴の多いことには呆れるぐらいで、挙句の果ては自殺までするのだ。
俺も騙されて倒産した時には、騙した琉球銀行の下地正吉支店長を恨むのでも、同じく騙したサンエーの折田喜作社長を恨むでもなく、失った人達のことが辛くて一晩死ぬ方法を考えていたわけで、こうして失った人の信頼のことを考えると命さえ惜しくないわけで、それぐらいに人の一生は大切なものなのに、騙されて死んでいった人々の怨念は、この世には満ち溢れていると思うのだ。
そして必ずそれは騙した奴等に、いつの間にか祟るだろうと思ってるのだ。
俺も危うく死ぬとこだっただけに、それはつくづく強く感じるわけだ。
ちなみに俺を騙した折田喜作は70代で死んだわけで、俺は何とかそれよりは長生きしているわけだ。
そいつを育てた中山勇吉と光子の夫婦に今は祟られていて、多分天国ではなく地獄にでもいるんじゃないかな。
もっとも平和な国、日本では、みんな死んだら神様のようだけどな。
日本の行く末を常に心配していた石原慎太郎も死んで2年が過ぎるし、慎太郎は俺よりは12歳年上だったので89歳まで生きたわけだ。
弟の裕次郎は50歳そこそこで死んだし、人の運命なんて分らないもんだ。
また陽も陰って暗くなってきた。
右半身が痛むので、もう本当にコレデオシマイ。
じゃあな。
2024年10月25日
人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…