想像の世界(1930)若い世代はどんどん自分の民族の言葉を忘れ、全部漢族の言葉に統一されていくのだ。

ま~ちゃん

2024年11月27日 07:00






昔は中国3000年の歴史と言ったもので、せいぜい周と言う時代しか言われていなかったのが、4000年の歴史と言うようになり、今では5000年の歴史とか言い出しているわけで、俺は英語ではチャイナと言い、孫文が支那と言っていたことからチャイナになったようで、中国人も英語の場合はチャイナと自分たちでも言っているわけで、つまりチャイナは支那と訳せるわけで、俺も出来るだけ支那と使うようにしているわけで、日本では関西から西の地方一帯が中国地方と昔から使っているわけで、中国と言えば日本の関西と言うわけだ。

孫文以来。支那人も自分たちではチャイナと言っているわけで、何も蔑称ではない当たり前の呼び方なわけだけど、何故か支那と日本語で使うと、まるで蔑称で呼ばれているように感じられるらしく、何故かなーといつも考えるが分らなくて困っている。



それともう一つ、最近は当たり前のように、チベットも、新疆ウイグルも、内モンゴル、南モンゴルも200の民族の全てを中国領と平気で言っていて、そう言いながらも漢族は自分らを一番上に見ているわけで、チベットも、新疆ウイグルも、南モンゴルも全ての少数民族も一段下に見て蔑んでいるわけで、それが70年以上も続くと、若い世代はどんどん自分の民族の言葉を忘れ、全部漢族の言葉に統一されていくのだ。



俺は小学校6年の2学期からは、コザ市、今の沖縄市で育ったもんで、宮古島の方言はほとんど使えなくて、妻の直美もコザ市の出身なので、家では時々沖縄の方言を俺が使ったりするわけだ。

子供の暗記力はすごいもんで、俺は家主の4歳ぐらいの子供に毎日沖縄の方言を習っていたわけで、中学生になる頃には沖縄の方言でベラベラ喋っていて、学年で一番標準語励行を破るのは、1年2組のまーちゃんだったわけだ。

俺は何故かみんなからはまーちゃんと言われていて、誠で呼ばれたことはほぼなかったので、誠と呼ばれると少し違和感を感じたわけだ。

内地、東京に行ってやっと誠と呼ばれることには慣れたわけだ。



さて、深田萌絵が、これまでの弁論での活動から愈々アクションを起こすそうで、何をやるのか今から楽しみだ。

ただ、俺のように遠い南の島で、まだいくらか素朴さも残っている南の島で空を眺め、外の世界を眺め見つめている半身不随の男が、日本の世界、全ての世界の活動を眺めていると虚しくもなるわけだ。

オッ、今パーっと陽が差してきた。

ものすごい光が部屋にも満ち溢れて、テラスの木々も光り輝いている。



さて、漢族の歴史と言うのはまるで違うわけで、他民族を侵略して支那は成立しているわけで、漢族の共産党の歴史は今も他民族を従えているだけで、俺は常に独立運動が起こるのを期待しているわけだ。

例えば沖縄でも琉球独立論を唱える者達がいるのだけど、俺に言われると琉球と言う呼び名は、昔支那の王から名付けられた呼び名で、元からの沖縄は琉球ではないわけで、だから琉球大学と言う国立大学にこそ違和感があるわけで、まして琉球独立とは即ち支那の属国となると言うことだ。



それどころか、支那、中国による侵略は今も日本では密かに始まっているわけで、日本の靖国神社のトイレなどにペンキによる落書きがなされたことは、逆に日本人がチャイナで同じようなことをすれば、それはそれはものすごい批判が集中して戦争さえ起こされかねないだろう。

つまりチャイナは常に諸外国を舐めて、自分達を中華といって世界の中心と言っているわけで、もう仮に共産党が倒れて国が民主化されても、その意識は永遠に変わらないと俺は思っている。



ところで今ふと思い出したが、瑞慶覧チョウセイや、宜志マサノブや、真喜志コウセイは元気だろうか。

彼等も、宮古島の企業と取引がある間は何度も宮古島を訪れ、その度に中山(ちゅうざん)にも来たわけだが、もう30年近くも全然来ていないのは寂しいものだ。

こうして来訪する友人はどんどんいなくなり、今は後輩の根間保が2ヶ月に1回ぐらい訪れるわけで、その時は石田の研ちゃんが宮古島を訪れる時で、もうこの数年は来訪するものは彼等ぐらいだ。



来る者日々に疎しで、訪れる者はいなくなり、しかも60代で親友の当銘由市も、新田栄輝も、初恋のハーフの喜友名貴美枝も亡くなり、もう思い出も遠くなり日々に疎しってわけだ。

また曇ってきて、陽も陰り、少し薄暗くなってきたところで、今日はコレデオシマイ。

すべては日々に疎し…

じゃあな。



2024年10月28日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…

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