想像の世界(1915)”1粒の籾として、次の春となりますように”、と吉田松陰は言ったようだ。


想像の世界(1915)”1粒の籾として、次の春となりますように”、と吉田松陰は言ったようだ。



”1粒の麦”、と言う小説を昔読んで、確かアンドレ・ジッドの作品だと覚えているが、日本には、”1粒の籾として、次の春となりますように”、と吉田松陰は言ったようだ。

1粒の麦のアンドレ・ジッドは82歳まで生きて当時としてはかなりの長寿だったわけだが、吉田松陰は29歳で死刑になったわけで、すごく若かったわけで、11歳で藩の城主に講義をしたぐらいの早熟の天才だったようで、無茶苦茶に残念無念で悔しいもんだ。



それを考えると、今俺は79歳で長生きしているし、しかも68歳で脳出血で倒れて4〜5日意識不明の時は、宮古島まで駆けつけてくれた勲兄さんはその状態を見て、もう命は持たんなと思ったらしく、持っても寝たきりになるだろうと思ったらしく、医者の勲兄さんは、それまで何人も似たような患者を見てきてそう思ったらしいが、直美は、”ちゃんと治る”、と信じていたようだ。

ま、生き返ったわけだが、半年近くは全ての記憶をなくして寝たきりだったわけで、一応勲兄さんが予想した通りだったわけだが、ま、奇跡が起こって、或る日突然覚醒して蘇り、全ての記憶も戻り始め、またヨチヨチながら歩き始めたわけだ。



ま、俺にとっては奇跡で、直美の予言の方が当たったわけだ。

あれから11年も長生きしていることを考えると、29歳で死刑になった吉田松陰の無念さ悔しさは、いかばかりか想像も出来ないわけだ。



俺は34歳で倒産した時は悔しくて死のうと思い、死ぬ方法をあれこれ考えていたが、3時間ぐらい考えて、最後に東平安名崎の灯台に車で全速力でぶつかって死のうと決めたら何となく安心して、しばらくして、待てよ、俺の倒産は琉球銀行に1億3000万円融資するから借りてくれと頼まれて支店を出したのに、本店の許可が出なかったと融資が出来なくなって、おかげで不渡りになった為に倒産したわけで、騙した支店長と支店長代理の責任で、更に俺の得になる約束で独立したサンエー折田の敷地の担保の出来なかったせいでもあり、これは騙した折田喜作の、恩を仇で返したせいで、俺と中山勇吉、光子の親子2代にお世話になった恩を忘れた非道な仕打ちが極悪なわけで、俺が自殺するのでは筋が通らないと考えると、後はサバサバして朝を迎えて、そして倒産して全てを失い、無一文の丸裸の青年に戻ったわけだ。



その時はまだ34歳の若さで、一応もう一度ゼロから人生をやり直そうと決意したわけだが、吉田松陰は藩命により死刑になったわけで、やり直しのきかなかった29歳の天才の気持ちの悔しさは、いかばかりか想像もつかないのだ。

11歳で藩主に講義した、塾長まで勤めた若き天才を謀反人として死刑にする当時の理不尽なむごたらしい組織の幹部どもは許せないわけで、兎に角、考えても考えても残念なわけだ。



ま、だから3歳では既に俺も大人の理不尽さに気がついていたので、大人のつまらない命令には全てアカンバ、Noと言って従わなかったわけで、4歳でついたニックネームがアカンバまーちゃんだったわけだ。

おかげで宮古島一の美女とも言われた母光子は、俺の顔を見る度に、すぐに、”勉強しなさい”、と命令するのがいつものことだったが、逃げて一度もその命令に従ったことはなかったわけだ。

大人達や先生に理解力のある指導が出来ていたら、少しは勉強して少しは天才らしく俺もなれたかも知れないわけだ。



ま、何を思っても大人には分らないわけで、分かっていたのはハツばさんだけで、父ちゃんと言う名の、若い、明かるい、男らしい男も豪快に笑うだけで、年に1回か2回訪ねて来て、お土産に本を持って来てくれるぐらいだったわけだ。

ま、世の中理不尽な大人だらけで信用出来るのはハツおばさんだけだったのは、今考えるとちょっと残念だったな。



先日は、同級生だった下地正幸からの手紙で同窓会の案内が来ていて、正幸は役員を務めているようだが、27歳で俺から10万円借りてそれっきりだが、昔の10万円はそれなりにかなりの金額だったわけで、取り敢えず100万円でいいから返してくれと返事を出そうかな。

ま、勿論冗談だが、今更金なんかどうでもいいが、同窓会に那覇市まで行くには俺には付き添いが必要なので、残念ながら参加出来ないわけだ。

宮古高校の同窓会なんだから宮古島でやるのが筋だろうとは思うが、宮古島にはもう参加する奴は少ないんだろう。

返す返すも残念ってわけだ。



そして昨日はコザ中学校の同窓会の案内が届いた。

会長の源河朝良からの案内の葉書だったが、やはり沖縄市でいるわけで、残念ながら参加出来ないと手紙を出そう。

朝良はクラスになったことはないが、いい奴だったな。

悔しいけど、俺は一応生きているだけ丸儲けってわけだ。

じゃあな。



2024年10月13日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



同じカテゴリー(想像の世界)の記事

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。