今日はクリスマスで、あと6日で新年だが、今年の冬至は4日前で、その日の18時20分が冬至点で、1年のスタートらしいのだ。
つまり、2025年はもう始まっているわけだ。
それにしても、一年を365日にしたり、うるう年を4年に一度増やし、冬至と夏至を決めたり、1日を24時間にしたり、1時間を60分にしたり、1分を60秒にしたりと、全てを決めたのは誰なんだろう。
俺は残念ながら一度も考えたこともなく、79歳になってしまったが、毎年一度の誕生日だって、これらの取り決めがなければ分らないわけで、だが残念ながら、我が家では誰一人誕生日を祝ってもらったことはなく、俺は一応誕生日が祝うものだと知ったのは、友達の平良鉄彦の誕生日に3年生の時に招かれた時に、プレゼントと言うものを持っていくらしいと聞いたので、母ちゃんにそれを言ったら、店で売っていた干しブドウの小箱をひとつ、”うり”、と邪魔そうに渡され、喜んで持っていったら、他の生徒のプレゼントは画板などの高級なもので、画板ひとつもない級長の俺が、一番みすぼらしい干しブドウの小箱ひとつで、戦後9年目の小さな宮古島では珍しい誕生日だった。
残念ながら俺は未だに直美の誕生日を祝ってあげたことは無いので、2025年8月24日には、7月5日の予言の日が無事に済めば、直美の誕生日を祝ってあげよう。
直美の66歳のお祝いは、7月5日が無事に済んだ、晴天の霹靂の日が我が家に起きるわけで、直美は泣くかも知れないな。
ちなみに俺はもう80歳の区切りの年を無事に終えていて、7月5日にどう備えるかと対処している所だっただろう。
これは今も考えているわけで、まだ対処法が分らないが、取り敢えず家の近くのカママ公園あたりに行って、アルクラでも眺め、海も眺めておこうと思う。
海のそばの海辺などの低地に住む人も、せめてそれぐらいの対策はした方が良いのではないかな。
大山鳴動してネズミ一匹も動かず、現れないことになれば、多くの預言者は今後信じるに足らんことになるが、7月5日はノストラダムスやエドガー・ケイシーや、ジーン・ディクソンや、出口王仁三郎も危険が起きると予言しており、共通して他にもかなり沢山の預言者が同じことを言っているようだ。
兎に角、世界的な預言者の多くも、その2025年はもう間近に迫っているわけで、そのスタートの12月21日の冬至点はもうスタートしているのだ。
昨日から直美は那覇に行っていて、今日は帰ってきた。
一日家にいるので、一応より楽しいクリスマスの夜を迎えるわけだ。
さて、間もなく9時半になるので、下地祥子さんが来て、アイスコーヒーなどを準備してくれると思うので、多分野良猫のアルと花も待ち侘びているんじゃないかな。
ところで、さとうみつろうは、よくレイビレッジに行って色々なことを発信しているわけで、石垣生まれのさとうみつろうは、沖縄の青年としては稀有な才能を持った青年だなと、いつも感心して眺めているわけで、ある意味予言者でもあるわけで、沖縄に昔、国体の選手だった俺よりも若い預言者がいて、人の運勢を見てよく当たると有名だったようで、直美に連れられて行ったが、俺は仏の生まれだから、自分では見ることは出来ないと言うのだ。
それで直美を見ることになったが、一応高貴な生まれだと言われ、色々運勢を教えてくれたわけだ。
兎に角、今も直美とは楽しく暮らしている。
じゃあな。
2024年12月25日
人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…