想像の世界(1989)最後はタヒチに住むつもりだったが、なんとパスポートが必要だと言うのだ。


想像の世界(1989)最後はタヒチに住むつもりだったが、なんとパスポートが必要だと言うのだ。



俺は18歳の時に家出をして、アフリカを目指して、当時はコザ市に住んでいたので、徒歩でコザ市から石川市へ行き、それから東線を通って那覇市へ出て、泊港から船に乗って宮古島へ渡り、そして石垣市から外国航路の船で、台湾と南アジア、中東、そしてペペ・ルモコのアフリカ東海岸まで行き、その後は、コンゴからケニアまでアフリカを見て回り、南米に渡りメキシコからペルー、アルゼンチン、ブラジルと回って、最後はタヒチに住むつもりだったが、なんとパスポートが必要だと言うのだ。



えっ、パスポート?、何だそれ?、と高校3年の2学期で、初めて外国へはパスポートがないと行けないとは知ったわけで、それで俺の世界を一周する夢は頓挫してしまったのだ。

コザ市の家には帰りづらかったので、宮古島のハツおばさんのお世話になることにして、また1ヵ月振りに10月頃から宮古高校へ行くことにしたわけだ。



天才、中山勇吉の息子として池村校長は受け入れてくれたが、これが稀代のヒンジムンで、宮古島一の不良少年で、体育の時間は、俺は遊びの真っ最中で、女子校の裏山で木の実をとって食べたりしていて、いつも口は木の実の汁で染まっていて、一目瞭然で、授業をサボって山で木の実をとって食べていたなと、よく池村校長には見つかって、俺の不良振りには手を焼いていたようだ。



学校帰りの街でよく佐良浜の不良青年どもと会うので、俺は、”殺すぞこの野郎”、としょっ中喧嘩を売っていたわけで、ただ海を渡った平良の街で、ものすごい形相で怒鳴りつけてくる不良高校生には、佐良浜の不良青年も手を焼き、何も出来なかったわけで、いわば海を隔てた平良の街の不良のボスとは、流石の宮古高校の池村校長も、天才中山勇吉の息子として途中入学を許したことを後悔しただろうな。

どっち道、勉強はした事はないが、流石に家出で1ヵ月以上放浪していたわけで、勉強しないといっても、例えば遊んでいても毎日学校に行っておれば、耳から目から勉強は自然と身に付いて、学年で2位にはなれたもんだが、一応優秀の筈の中山誠が、稀代の不良だったわけだ。



でも32年後の50歳の時には、同級生の瀬名波よう子が、”えっ、あの美少年の誠なの”、と言ったので、少なくとも一人は俺を悪党だと覚えるんではなくて、美少年と思っていたわけだ。

83kgのデブになっていた俺は、悲しく、そして嬉しくそれを聞いて知ったわけで、小禄栄子や兼島とも子といった、当時の宮古高校の1位、2位の2人でなくて、瀬名波よう子をデートに誘ったらOKしたのかも知れなかったわけだ。

もっとも性の欲望はなく、せいぜい軽くチューぐらいのことしか想像していなかったわけだ。



さて、頭の中には色々な思いが渦巻いているわけで、中国、中華人民共和国、チャイナ、支那のことは大嫌いだが、YouTubeで毎日習近平が出てくるわけで、支那のことは、毛沢東から、鄧小平、江沢民、胡錦濤、そして習近平と、嫌いな割にはしょっ中目にして読んでよく知っているわけだ。



そして今は、YouTubeでは毎日イランのロスタムとサヘルのことや、ベトナムのパオとスアのこと等が、あまりにも現在の日本とはかけ離れていて、昔々の宮古島の生活を見る思いで毎日見ているわけで、どうも直美には全く興味のない世界のようで、さげすまれる始末のわけだが、俺にはまるでロスタムもサヘルも、パオもスアも、兄弟姉妹のようにさえ感じているわけで、彼らの毎日の暮らしぶりが気になり、ついつい見てしまうのだ。



さて、今日は金曜日でアルクラに行くつもりだったが、正月、サンガニチで、1月3日でアルクラはまだ休みなので、こうしてあれこれ思いを日記に書いているわけだ。

そして昨夜はニコラス・ケイジの映画を見ていたわけで、その前はニコール・キッドマンの映画を見たし、もう夜になると、こうして昔ながらの映画を沢山見ているが、スターが出ていれば大体面白いわけで、その他の二流の映画は面白くなかったり、つまらなかったで、当たり外れの差が多いわけだ。



それにしても、ハリウッド映画は流石にかなり金のかかっている映画が多いわけで、出演者も時には何千人も出てくるわけで、子供の出演者も多く、俺などでは想像もつかない世界に、こんなに多くの人々が出演しているわけで、俺なんかは何億円積まれても断る世界に、それも自分には関係のない世界を演じるわけで、今考えれば、中学や高校でも演劇部はあったなーと思い出すわけで、その何万の学校の演劇部から、未来のスターも生まれるわけだ。

親子何代も続く、そのような家系もあるわけで、全ての演劇や音楽や、絵画などの芸術には大いに興味はあるが、自分でやることには全く興味のない世界で、それは学問も文学もそうで、中山勇吉の次男坊の俺は、ただの人と言うわけだ。



でも一度は沖縄一の金持ちの青年実業家だったわけで、ある程度の特殊能力はあったわけで、一応天才の片鱗はあったわけだ。

ま、40歳も過ぎて企業活動の虚しさを知ったのも、レイチェルの沈黙の春を読んだおかげで、今はセンス・オブ・ワンダーを購入したいなと思っているわけだ。

成瀬は天下を取りに行く、と言う本もタイトルが面白そうなので買ったが、大したことはなかったわけで、本も買おうと思っても3ヶ月もすれば忘れてしまうわけで、さてセンス・オブ・ワンダーは、もう何十年も前の話だが、まだ購入していないわけだ。

一応思うのはただなわけで、今は思うだけだ。

じゃあな。



2025年1月3日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



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