想像の世界(1992)楊海英の、中国を見破るをやっと読破した。

想像の世界(1992)楊海英の、中国を見破るをやっと読破した。



楊海英の、中国を見破るをやっと読破した。

目がチラチラして焦点が定まらないので、1日にやっと2〜3頁ずつ読んでの、1冊の本を読み終えるので、年に買いたいと思った本をメモしておいても、数ヶ月にやっと1冊しか買わないわけだ。

”中国を見破る”、は、ものすごい博識が詰まっていて面白い本だったが、結論的には中華人民共和国の共産党員を始め、支那人の単なる負け惜しみの理論を分析した本だ。



漢人による中華思想が世界一優れていて、漢人が世界で一番優れた人種だと言うのは、俺からすると単なる負け惜しみの屁理屈にしか見えないわけで。一番それを表しているのが漢人と朝鮮人の発音で、イー、アル、サン、スーと言う発音と、日本語、英語のきっぱりした発音、イチ、ニ、サン、シーと、ワン、ツー、スリー、フォーとの違いだ。

猫の猫撫で声で甘えてくるのと、犬のいさぎよい声との差で、ただ猫は怒るとものすごい声でギャーと騒ぐので、チャイナがしょっ中大声でわめき散らしているのは、ほぼ騒がない猫以下と言うわけだ。



クルーズ船で時々宮古島を訪れるチャイナに対しても、いつも俺は一応明るく笑顔で、”こんにちは”、とか、”お早う”、とか声をかけるが一度も返事をもらった事はない。

チャイナはどうやら、明るく声をかけ合って挨拶し合うと言う習慣はないのかなーと思うわけだ。

その分、やたらと大声でしゃべり合っているわけで、ま、声が大きいのは俺も似たり寄ったりだが、違いは歩きながらの大声でのしゃべりは、俺にはないことだな。



今は目は焦点が合わず、声は聞こえるが一語一語がはっきりしないので、相手にも一語一語ゆっくりハッキリしゃべって欲しいわけで。例えばホリエモンのしゃべりの速度はいいぐらいだが、三崎優太のしゃべり方はペラペラと早過ぎるわけだ。

最近のコメンテーターはみんなペラペラと早過ぎるので、俺は聞き取るのには苦労しているわけで、ホリエモンと溝口勇児の方が、三崎優太よりは聞きやすいわけだ。

どっちにしろ、政治家どもと違って、彼等には卑怯者の要素がないのは嬉しいことだ。



ま、チャイナは、ほとんど卑怯な人間に育たないと生きていけない環境で育つので、中華人民共和国の人間とは、俺何かは一緒に暮らせそうもないな。

そして今や香港も内モンゴルも、新疆ウイグルもチベットも、幼児の頃よりの中華思想による反日教育を受けているわけで、基本全てが反日、反米で育つわけで、この20年程は流石の日本もそれが分かってきて、大分チャイナ嫌いが根付いてきたようだ。



今日は中山(ちゅうざん)グループは休みの2日目の月曜日で、水曜日にはつよしとドライブだ。

そして木曜日までの、5日間の正月の冬休みも終わって、金曜日からは中山(ちゅうざん)も再開されるわけだが、昨日、そして今日と直美は大掃除と片付けで、昔ながらの書類も大分片付けているのだが、それを全部いちいちを読み返しているので時間はかかるわけだ。

今日は風はもの凄い強い日で、木々は大揺れに揺れているが、晴天で陽の光の明るい日だ。



そして夜食は休みの2日目で、ピザを食べることになった。

ライバルのドミノが出来たわけで、ピザーラのピザのボリュームが一段と良くなったので、ピザを食べるのが益々楽しみになったわけだ。

今年はマクドナルドも美味しくなったし、先日は久しぶりにモスバーガーを食べたら美味しくなっていた。

システムが変わったのか、作る人が変わったのかは知らないが、みんな努力は続けているのだろう。

中山(ちゅうざん)グループも、一段と努力しないとならないなと思ったわけだ。

じゃあな。



2025年1月6日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



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