想像の世界(1861)これでは地球が平たいと言う、当時の地球の全ての学者と同じってわけだ。

ま~ちゃん

2024年09月19日 07:00






ほとんどの学者が、人間の都市はエジプトが4000年ぐらい前から発達を始めていたように言い、子供たち俺たちも、つい人間の文明や文化は、やっと4000年ぐらい前から発達を始めたように思っていて、俺もよく日本の文明文化も2000年ぐらいのもののように錯覚してしまうのだが、ま、反面、俺などはまだいい方で、いや、人間の文明文化の歴史は、何十万前、年何百万年前前から発達をしていたのだとも感じてはいたのだ。



すると最近になって33万年前の、そういう文明が発見されたと大騒ぎにもなっているので、一応、俺は当然だと思って溜飲を下げる気分ではいて、だろう、だから日本でも2000年も前には天皇もいたのだと思ったもので、ロストシティなどと言うが、ロストシティも33万年前のものが発見されたわけで、俺に言わせれば100万年ぐらいの前にもロストシティーなどはあったわけで、だからロストシティーでもあるわけだ。



ま、地球も40数億年前に出来たと言うが、何億光年も前からそこに宇宙も地球もあったかも知れないわけで、つまり、全ての過去は、何千年前、つまり数千年前以前はみんな不確定なもので、せいぜい言えるのは、”多分こうだったかも知れない”、と言う、”多分”、と言う不確定なもので、中学1年か2年の時に先生と大激論したら、全く認めない俺に、その先生は、最後は、全ての学者が認めて、教科書でもそう教えているので、これが正しいのだと言うが、俺は、”多分”、と言うならそれも認めるが、それ以外の答えは認めないのは、数学や物理化学、科学理論の話で、それ以外は全て、”多分”、と言う推論にしか過ぎないが、つまり、昔々は地球は丸くて、宇宙に浮かんでいることを認める者は学者の一人もいなくて、ガリレオガリレイ一人だけが、最後はしぶしぶ平たいと地球を認めたわけで、ただ内心は、”丸いけどなー”、と思っていたわけだ。



つまり、船に乗ってどんどん行けば、やがてはいつか一周して元の場所に戻れるとは、当時の人間にはまるで考えられず、想像する者さえいなかったわけだ。

今では、人間の歴史などは、まだまだ推論の世界で、俺にはすれば、それは全て推論であり、”多分こうだったのではないかと考える学者は多い”、と教えるべきだと思うが、まだ推論を歴史の確定理論のように教えているのは、いかがなものかと、常に俺はガリレオガリレイのように考えていたわけだ。



だから人間の文明文化も、ひょっとしたら100万年以前にもあったんじゃないかなーとも考えるわけで。それに俺は、人間も単なる微生物から発達して、祖先は猿だったなんてとても信じられないわけで、猿人が原人になり、人間になったとはとても思えず、そうすると、47億年どころか、数億年前には植物も動物も一緒で、挙句の果ては、鉱物も金属も全ては一緒と言うことになるわけで、猿が育って変化して人間が生まれたなんてことの方が、そもそもおかしいのだと、俺は固く思っていたのだ。



だから、ダーウィンの進化論は、もう授業の最初から受け付けなかったわけで、先生とも激論を交わしたものだが、なんと、やっとこの数年、最近になって、ダーウィンの進化論は間違っていると言う学者が増え始めているわけで、つまり60年以上前に、素人の中学生の俺が言っていたことを堂々と言う学者が現れ始めたわけで、”な、だろう”、と俺は思ったわけで、ダーウィンの進化論を確定理論として教え、全ての学者が認め、教科書にも載っていると先生は言うが、俺は推論としか認められないと30分以上激論して、最後には、”全ての学者が認め、教科書にも載っているから正しい”、と言う先生の言い分は、やっぱり中学2年のガキの力では、反論も最後は、その先生の言い分で終わりになったわけだ。



でも、心の中で、でも違うと俺は思っていたわけだ。

勿論、みんな他の生徒は教科書と先生が正しいと思っていたわけで、単なる俺はガーシュウまーちゃんのアカンバがまた始まったとしか思われなかったわけだ。

アカンバ、絶対嫌、ガーシュウ、頑固は、ま、俺は幼い頃の4歳には、もう大人の言う事は絶対に聞かない、絶対嫌な頑固な子供だったわけで、だから全ての先生の言う、教科書の正しい教えも疑っていたわけだ。



ま、多分と言う程度の言い分なら認めもするが、絶対と教えるのは、今でもいかがかなと思っていて、これでは地球が平たいと言う、当時の地球の全ての学者と同じってわけだ。

1 +1 = 2のような数学などや、他の科学ぐらいが正しい議論であって、他はすべて推論と言う教えなら、俺も認めるわけだ。



だから人間の文明文化についても全ては推論であり、大体、古代の巨石文化のピラミッドでさえ、俺はエジプト人が作ったとはとても信じられないわけで、巨石を運んだ方法も、積み上げてピラミッドを築いた方法も、全部他の異星人か何かのやり方があったと思うわけで、まして、それ以外にも世界中に残る何十トン、何百万トンの石を、古代人がものすごく巨大なクレームもなしに積み上げるのは、せいぜい大阪城や江戸城の城壁の石垣ぐらいなら兎も角、ピラミッドの上から内部まで積み上げる技術は、あんなテコの原理程度の技術レベルぐらいでは何百年かけても無理だと、素人の子供の俺でも想像出来るのに、学者が何も分かりもせず、認めもしないのが、あまりに不思議なわけだ。



ま、普通の一般人の生徒は、ましてや、ただ学者がそう言い、教科書にも載っていることを、ただ素直に受け入れ信じるだけってわけで、兎に角大人を信じない。大人の指示命令は絶対従わないアカンバまーちゃんは、教科書の教えさえも疑ってかかっていたわけで、それはガリレオガリレイも同じだったわけで、だからアカンバガリレオと言うわけだ。

ま、世の中では、まして色々な商品が美辞麗句の宣伝で売られているわけで、ま、大体は誇大広告がほとんどで、つまり、その辺りをくすぐれば人はすぐ乗るわけで、人を集める方法を考えれば、人の集まる所に人は更に集まるわけで、昔々、俺は人を集める方法を考え、当時、さびれた場所だった下里通りに人を集めようと考え、オリタの隣の空き地に、当時宮古島でただ一つのバンドだったバンドと、たった一つだった民謡グループによる宮古島初のコンサートを開催して、大売り出しをかけたわけだ。



すると、全てが宮古島初だったわけで、それはそれは信じられないぐらいに、想像を絶するぐらいに人が集まり、30分休んでは、交互にフォーク、ロック調のバンドと民謡の2種類を交互にやったが、信じられないぐらいに人が集まり、その30分の休みの間に、オリタはじゃんじゃんセールをかけたら馬鹿売れして、当時オリタがセールをしても最高30万円ぐらいだったのが、その日は320万円あまり売ったわけだ。



それから1年で、あっという間にオリタは宮古島No.1の売り上げの店に踊り出たわけで、その後の5年間で、俺はサンエーを、国際通りの安里の隅の、しがない、小さな年商5,000万円の衣料品店から、巨大な宮古島1の、沖縄1のショッピングセンターにしたのだ。

つまり、その後レイチェルの沈黙の春を読んで、世の中の悪い中身の商品も美辞麗句で垂れ流す企業の多いことにうんざりして、嫌気が差して、故郷宮古島に帰って、自由にのびのびと暮らそうとしたのが、つまり今の居酒屋暮らしってわけだ。



ま、人の運命も沖縄一の企業を作るのも、5年もあればあっという間に出来るわけで、それも27歳のボーチラの俺が、ただ人を集めれば、人の集まるところに更に人は集まると始めた、宮古島初のコンサート活動で、売り上げを倍増出来るだろうと始めたセールが、倍増どころか10倍蔵の売り上げで、折田喜作の一生の夢が、年商1億円弱の店を4店舗つくるのが一生の夢だったわけで、それをたったの5年で沖縄一の企業にしたのに、俺は感謝されるどころか恩を仇で返され裏切られたわけで、つまり、折田喜作はあくまでもサンエーは自分が築いたんだと、もうサンエー歴史の中から中山誠を消し去りにかかったわけだ。



そしてその通りに、サンエーの歴史の中に、中山誠の業績も名前ひとつ、全く消えてしまったわけだ。

まして、折田譲治も何も分からず、折田喜作命の上地哲誠は、永遠に俺の名前も業績も言うこともなく、節子も和子も富子もかろうじて知りには知っているが、業績として認めるのは、父の折田喜作を否定することでもあり、認めたくもないわけで、決して口には絶対出さない名前だ。



ま、俺はサンエーのロストシティならぬ、ロストマンってわけだ。

かつては愛もあっただろう節子も、あくまでも離婚は自分のせいだとは認めないわけで、俺はそう思いたいならま、いいかってわけだ。



今日はロストシティーのことを考えていたら、思いは千々に乱れて色々なことが浮かんでくるわけで、人間の思いは、学校の先生も大学の教授も、いわば普通よりせいぜい一歩だけ進んだ人間で、天才アインシュタインも世の中で一番速いものは光以外にはないと言ったのに、今じゃ理論的にはあと4つあると言うのだ。

ま、その内もっと出てくるかも知れないわけで、相対性理論もへったくれもないのが、この宇宙の理論ってわけだ。



人口5万人強の小さな南の島、宮古島で天才と言われた俺より頭のいい人はいっぱいいるだろうし、沖縄一の企業サンエーも、たったの2000億円ぐらいの年商で、節子、和子、富子、譲治の、それぞれ100億円、200億円、300億円の資産も絵に描いたモチみたいなもんで、ま、俺の方が、食品添加物の少ない食材で、化学調味料を使わない、健康的で宮古島で一番おいしい料理、沖縄一の中山(ちゅうざん)の料理を食べている、世界一幸せな男ってわけだ。



というわけで、今日は2週間ぶりに、佐良浜の前泊直美が来る日だ。

嬉しいな。

じゃあな。



2024年8月20日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…

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