想像の世界(1976)もっと大騒ぎしてもいい発明だと思い、フェイクニュースだろうと思ったほどだ。


想像の世界(1976)もっと大騒ぎしてもいい発明だと思い、フェイクニュースだろうと思ったほどだ。



世の中には不思議なものがあり、例えばエジソンが発見発明した電気もそうで、現在のほぼ全てに、この電気のお世話になっているわけだが、それに匹敵するぐらいの発明だと俺が思ったのが、大阪大学の坂本雅典教授の発明した透明電池で、これは透明でガラスの上、というか中に、透明でも発電機能を持たすことが出来ると言うので、今後の電気エネルギーは、全てビルや家庭の窓で作り出していけると言い、すでにその実証実験もされていると言うのだ。



もう一大驚異的な発明発見で、世界中の世間がもっと大騒ぎしてもいい発明だと思い、フェイクニュースだろうと思ったほどだ。

世の中で重要なものは空気と水と食事で、アフリカでは水さえ枯渇している地域もあり、その水を得る為に穴だらけのボロを着た裸足の小さい子供たちの仕事が、古びた水の容器を持って10数kmも、炎天下のアフリカの、緑も少ない荒野の一本道をたどって水を汲んで、その重い容器を担いでたり抱えたりして、トボトボ歩く姿はものすごく悲惨で、可哀想で見るのも辛いものだ。



昨日は、今年もまた森下裕一郎が、アフリカのそんな地域の人々の為に、地下70m以上にある水脈を探り当てて、水道を引く姿を1時間ほど俺は見ていたが、アフリカの黒人の人たちが、その仕事をやっている間、数多く、無数の、その貧しい可哀想な子供たちと仲良く遊ぶ森下雄一郎の男らしい明るい様と、その貧しくても苦しくても底抜けに明るいアフリカの子供たちの姿に比べて、もう恵まれている日本の子供たちの、つまらない学習で学ぶ姿と、その成績を苦手にしたり、成績に悩んで、中にはそれを悩んで自殺する子供もいるので、俺なんか勉強大嫌いで一度も勉強はしなくて、母は俺の顔を見ると、いつもすぐに勉強しなさいと怖い顔で叫び、怒鳴るので、宮古島一の美女の、父の前ではウットリしてメロメロの美しい鬼ババァだったが、勉強しなさいと言われても、いつもすぐに逃げて、俺は外に遊びに行き、電気が消える深夜12時まで遊んでいたが、でも小学校では学年一位の成績だったわけで、その俺の勉強もせず遊んでばかりいて、仕事もしなくてもいいし、水を汲みに行かなくても良かった幼年期、少年期、そして沖縄一の大金持ちになった青年期と、騙されて無一文なしのド貧乏になった、それでも明るく、いつもケラケラ笑って来た一生で、明るい笑顔の人生だけは、貧しいアフリカの明るい子供たちと同じだと思うわけだ。



そして、あの貧しい何もない苦しいアフリカの子供たちが、唯一俺より恵まれていたのは、あの森下雄一郎と言う明るい大人と巡り会えたことで、これは俺にはなかったことだ。

でも、戦後の宮古島はアフリカ同様何もなかったが、唯一勝っていたのは美しい自然が残されており、うっそうとしたヤラブの森に囲まれて、世間の目には触れることもなく隠されていた、あのパイナガマの美しい砂浜の白い砂と、コバルトブルーで澄んでいて、水平に5m以上の遠い海底に泳ぐコバルトブルーや、美しいエンゼルフィッシュたちが泳いでいたことや、砂浜一帯に広がっていた浜昼顔の、淡く赤い美しい様子には、俺はウットリして、俺の秘密の美しい砂浜だったわけで、アフリカ同様何もなかったが、美しい自然だけは唯一勝っていたものだ。



その宮古島に憧れて28年前に移り住んでいる、美智子と言う身長174cmある女性が徳洲会から派遣されてきて、俺の半身不随の生活を時々うるおしてくれるが、28年前も観光客はほぼいなくて、だからこそまだ美しい宮古島が残されていたわけで、だからこそ美智子さんは宮古島に住みついたわけだ。

あの、世間から隠されて、うっそうとしたヤラブの森に囲まれていた美しいパイナガマで、防波堤もなく、埋め立てた場所も1カ所もない、橋もないコバルトブルーの海が広がって、佐良浜と池間島が遠くにポッカリ浮かんでいた美しいパイナガマを、美智子さんに見せられたら、もう28年前の数倍の衝撃を受けただろうな。



そして美しい自然は街の中にさえ広がり、赤瓦やセメント瓦の木造の平屋が建ち並び、アスファルト舗装の道など1カ所もなく、美しい白いナウサの道路に取り囲まれていて、道路の脇の下水道に流れるのは、澄んだ水道の物を洗った後の水で、俺たち子供はその溝の中に落ちたビー玉を取ってまた遊んで、その手で平気で物をつかんで食べたのに、一人も下痢をすることもなかったもんだ。

だから下痢薬なんかは縁はなかったわけで、その点ではアフリカにも勝っていただろうなと思うわけだ。



「水は美しいもの」とは森下雄一郎の水道の水を見たアフリカの人々は、実感したんじゃないかな。

宮古島では70年前の海は美しいもので、今でも空気は美しいけど、その他はみんな変わっているわけだ。

まだ、そこそこにその美しさは残されていて、ホテルとマンションの高層ビルの建築はラッシュ状態だが、他の日本のどこよりも、俺にとってはまだ全てが美しく、人情も美しい中山(ちゅうざん)と美ら美ら(ちゅらちゅら)が残っていて、従業員のみんなの人情も美しく、おかげで明るく優しい女将さんも大人気で、時々訪れる常連さんのお土産のお菓子は、いつも俺の分まであるわけだ。

世界一幸せな島の、世界一幸せなみんなに恵まれて、やっぱり俺は世界一幸せな男だな。

直美さん、ん?

じゃあな。



2024年12月21日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



同じカテゴリー(想像の世界)の記事

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。