想像の世界(1996)残念ながら母は死ぬまで俺にはいじめられたと思っていたのだ。

想像の世界(1996)残念ながら母は死ぬまで俺にはいじめられたと思っていたのだ。



ウィキペディアと言う言葉がちょいちょいと出てくるので調べたら、多言語のインターネットの辞典と言うらしいが、まだ曖昧な部分もあると言うのだ。

何せ今のコメンテーターは、この曖昧なインターネット外来語もじゃんじゃん使うので、兎に角前後の脈絡で、何となくこういう意味だろうとぐらいで、特に調べない外来語も多いのだ。

このウィキペディアも、今までは調べもしないで知っているつもりで、すっ飛ばして使ってきたが、今回は調べたわけだ。



さて、石破茂は直美も嫌っているので、何でか?と聞くと、顔に品がないと言うのだ。

うーん、俺にはドンピシャな返事でおかしくて笑ったわけだが、俺が嫌う理由も、石茂の三白眼の目つきの人相だったわけだから、ま、似たようなもので、多くの日本国民が同じように思っているんじゃないかな。

外務大臣の岩屋毅も、同様に品のない人相で危ぶんでいたら、これまたドンピシャ、同じような言動で、中華人民共和の習近平にペコペコした応対をするので、こいつも大したことない男だなと思ったわけだ。



要するに、日本を代表する石破茂首相も、岩屋毅外務大臣も、品がない人相なので人気はなく、日本の政治はまさに三流で、もう終わりだなと感じるわけで、おかげで茂や毅の名前を持つ男は、みんな頭に来ているだろうな。

俺も誠という名前をつけてもらい、宮古島一の不良高校生だったが、同級生で後日琉球大学の教授になった男から、”誠の顔は品があるな”、と言われた時はびっくりして、目を白黒させたもんだ。



58歳で死んだ母がそれを聞けば大喜びしただろうに、残念ながら母は死ぬまで俺にはいじめられたと思っていたのだ。

それは最後まで一番朝から就寝まで看病した俺が、医者の言いつけを守って、絶対水を与えてはいけませんと断固として言うので、俺はその通り守ったら、とうとう最後は水を飲みたいままで死んでしまったのだ。

その医者の言いつけを守った俺を、”まーちゃんは意地悪だ”、と言って死んでしまったわけで、何の為に一番看病した俺が、一番のいじめっ子にさせられたのかと、後日大いに悔やんだわけだ。



死ぬのなら、喉が渇く度に水を飲ませてあげれば良かったと思ったわけで、それを医者は水を飲ましてはいけないと強く強く、断固として繰り返し指示命令したのだ。

その言い付け通り馬鹿生直に守った俺は、”まーちゃんは意地悪だ”、と言って死んだ母の気持ちを考えると、思い出す度に悔しくて仕方がないのだ。

兄弟で一番ボーチラーのわんぱくの俺は一番優しいのに、一番意地悪と言って母が恨んで死んでいったのだ。



80を越えたばかりのハツおばさんが亡くなったのは、もう意識不明で誰の呼びかけにも一切返事もひとつもしないのに、俺が、”俺だよ、まーちゃんだよ”、と言うと嬉しそうにウンウンと答えるのに、誰が何を言っても何も答えないので、みんなは俺に、また言ってみてと言うので、俺だよまーちゃんだよと言うと、また嬉しそうにウンウンと答えるのだ。

こうしてハツおばさんは幸せに死んでいったので、58で母は亡くなり、60で父も亡くなり、80でハツおばさんは亡くなり、それこそハツおばさんは大往生だったなーと思ったわけで、その80歳に、俺も今年はあと6ヶ月でなるわけだ。



半身不随ながら今は11年間元気に生きているわけで、大往生の為には、せめて94歳の直美の母の千代ちゃんを抜かないといけないわけで、しかも目標は110歳だからあと30年もあるのだ。

中山(ちゅうざん)と言う居酒屋を作って34年になるが、34年は長いようであっという間に過ぎるわけだ。

うーん、あと30年か、ま、あっという間に過ぎるだろう。



まだ午前4時半だ。

3時半に目が覚めたので、日記を書き続けているのだけど、加持さんと会うのは今日は3週間振りになる。

正月休みの冬休みの前は雨の休みで、結果として長い冬休みになった。

今年は兎に角80歳の大台に乗る年なのがとても嬉しいわけで、もうワクワクのしっぱなしってわけだ。



そして今日もどうやら雨のようで、晴れなければまた休みだな。

家の中は、キッチンカウンターの上も、このテーブルの上も、きれいに蘭の花が咲いていて、美しくて、我が家はもう春だ。

キッチンカウンターの上の蘭の花の名はジューシーリップと言い、このテーブルの上の蘭の花はデンドロウムのスノーフレークオトメと言うのだけど、うーん、乙女と言うよりは貴婦人という感じに俺は思うのだ。



杉山洋蘭園で作っている花らしいが、俺は3800円でも安いと思う程にきれいな花で、もうひと鉢買おうかと思ったが直美は駄目だと言うので、俺はケチンボと言ったわけだ。

まだ1週間前に2万円買って、今週も2万円近く買っていると言うので、俺は3万円まではいいのにと言ったが駄目と言うのだ。

今まで買った花の3分の2は枯らしているので、土造りがやっぱり駄目なわけで、まずは土造りだなーとは思うのだが、すくすく育つのはハイビスカスだけだ。



一昨日はスノーフレークオトメの他は、ガーベラが4鉢と、後は球根をたくさん買ったわけで、この球根でさえあまり芽を出さないから厄介ではある。

何せ庭は100坪程あるので、花はどんどん咲かせるが、咲き終わると2年も持たなくて困っているわけだ。

兎に角、最初の海の砂をダンプカーの320台も入れたのが悪かったのかなーとも思うわけだけど、大米建設の10トンダンプの320台も埋めた300坪の窪地に、坂道の進入路まで造ったのに、今は俺の土地と思ったのに字有地と言うのだ。



市役所が埋め立てた海の残地の窪地を埋め立てて21年間住んでいたのに、36年前の子分から訴えられて、土地をよこせと言うのだから、俺にとっては無茶苦茶の理不尽な要求と言うわけで、簡単に承諾するわけにはいかないわけだ。

ま、20年振りの言いがかりと言うわけだ。



昨日は直美の大掃除のおかげで出てきた写真に、36年前の砂川好男も、下地浩之も全員写っていて、親分は俺と言うわけだ。

つまり奴等は、恩を仇で返す子分どもと言うわけだ。

36年ぶりの恩が写真に残っているとは、奴等も分らないわけだ。

兎に角、36年とは本当にみんな若者だったわけだ。



何をやっていても20代、30代、40位の若い頃は許されるわけだが、60代にもなっての欲は見苦しいものだ。

青春の間は、失敗ですら、全ては学んでは忘れ、また学ぶの繰り返しで、それら全てが楽しい思い出だが、50代、60代での欲は見苦しいだけだな。

幸い俺は、68歳で倒れたのが良かったのかも知れないな。

そしてあれ以来禁酒禁煙で、おかげですこぶる健康で快調と言うわけだ。



さて、ケネディーが暗殺されたのが1963年で、それから3年後にアームストロングが月面に着陸したわけだ。

つまり、あれからでも61年経っているわけで、61年前に人間があの月の上を歩いていたなんて嘘みたいな話なわけだが、どうやら月の世界は酸素がまるで少ないみたいだ。

つまり火星の方が酸素は作り出せそうだから、イーロン・マスクは火星移住を考えているようだが、俺はあと1000年ぐらいは地球は持つと思うのだ。

だからトランプと力を合わせて、地球を平和にすることを考えて、習近平やプーチンは追い出す方法を考える方が、火星へ行くよりも先だと思うんだ。



何せ3000年も人間は戦争ばかりしているアホだから、今年79歳になるトランプと言う名の後期高齢者に頼ることになるわけだ。

そして70代になった習近平やプーチンに牛耳られる始末と言う、情けない始末と言うわけだ。

ま、やっと40歳になったデブの金正恩なんて言う名のガキに牛耳られる馬鹿な国よりは、少しはマシかも知れないが、どっちにしろあんな有象無象どもにしてやられている地球の情勢も情けないものだな。



この小さな南の島の宮古島で、居酒屋を34年もやっていて楽しい毎日と言うのは、本当に幸せなことだ。

レイチェルの沈黙の春、様々ってわけだ。

おかげで今度はセンス・オブ・ワンダーも買って読んでみようと思っているわけだ。

センス・オブ・ワンダー、沈黙の春、どっちもいい題名だな。

というわけで、今日はコレデオシマイ。

じゃあな。



2025年1月10日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



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