想像の世界(1999)兎に角、初めて見る東京の街で、いつもワクワクしていたものだ。


想像の世界(1999)兎に角、初めて見る東京の街で、いつもワクワクしていたものだ。



今日は直美の休みの日で、しかも成人の日で公休日だ。

俺が成人になった時は成人の日などはまだなくて、それに俺は初めての東京の阿佐ヶ谷の、従兄で俺と同じ昭和20年生まれながら早生まれの、砂川勲の住むアパートにいた。

兎に角、初めて見る東京の街で、いつもワクワクしていたものだ。



こうして今は、また生まれた島の宮古島(本当は戦時中の6月17日の台湾生まれ)の宮古島に戻って、もう36年ものんびりと自由に暮らして、愈々今年は80歳の大台に乗るのだ。

60歳そこそこで、親友で一緒に青春を過ごした当銘由市も、新田栄輝も死に、俺が倒産した頃に、私が面倒見てもいいよと言った、中学3年の初恋のハーフの美人の喜友名貴美枝も死に、とうとう貴美枝とは縁がなかったわけで、今考えると、直美と出会わなければ、その気になって面倒を見てもらい、逆に貴美枝はウンザリして別れていたかも知れないわけで、やはり初恋は清く正しく美しいままで良かったのかも知れないのだ。



それにつけても直美も21歳の女子大生だったのに、36歳の離婚した俺の面倒を40年以上見ているわけで、よくまぁウンザリもせずに、脳出血で倒れて半年近くは全ての記憶をなくして、いわば人間にもなっていなかった俺を、明るく楽しく面倒を見てくれたものだ。

那覇の大浜病院に転院した頃は、毎日公子姉さんと勲兄さんがお見舞いに来てくれたし、直美も1月に1度か2度は宮古島からお見舞いに来たもんで、俺は名前は思い出せないが、このきれいな明るい人は俺の妻だけど、名前は何ていうのかなーといつも思っていたもんだ。



半年近く経った或る日、突然記憶が戻った時には喜びも爆発したもんだ。

あんな爆発的喜びを経験出来る人は、あまりいないと思うので、俺は半身不随になった今が、人生で一番幸せな時だ。

そして今日は、まるで春のように陽射しの明るい日で、外の花や樹が、みんな美しく輝いている。

風はほとんどなくて穏やかな日だから、後で花に水を撒いてあげよう。



こうして川も山もない宮古島だが、地下水には恵まれていて、水を汲みに行く難儀はしたこともないし、本当に生まれた時から幸せが続いていて、何度も騙されて、それこそ何億円損したが、またケラケラと立ち直って、こうして半身不随ながら元気に暮らしているわけだ。

中山(ちゅうざん)も正月休みを6日間も取り、その間、何百万円もかけてトイレを全部リニューアルしたようで、直美の話ではものすごく美しくなっているよと言っていたので、今度一度見てみようとは思っている。



さて、こうして俺は幸せ過ぎる毎日だが、アメリカのロサンゼルスがものすごい山火事で、しかも6ケ所で同時発生してるので、俺は火をつけた奴等がいるのではないかと疑っているわけだ。

何せ何万軒の家がみんな全焼して崩壊して灰になってなくなっているのだ。

その中には豪邸も無数にあり、俺が昔から大好きなサンタモニカの街も崩壊して全部灰になってもうないのだ。



そして、俺の大好きなアンソニー・ホプキンスや、トム・ハンクスなどの豪邸も全焼して灰になってしまったのだ。

もう5億円や10億円どころではない。何十億円、何100億円もの資産財産が灰になるのを見るショックは、どれぐらいなのかと考えるが想像もつかないけど、ま、ちょうど俺が34歳で大倒産して30億円の店舗を失い、10億5000万円の資産を失った時ぐらいかなとは思うが、34歳とは一応沖縄県では新記録で、多分今も破られていないと思うので、ま、その経験だけでも幸せなわけだ。



でも全てが灰になって、思い出の品も写真も全てを失い、着の身着のままで投げ出された時は、少なくともしばらくは茫然として虚しいものだ。

俺はこの数日、毎日ロスアンゼルスの山と街が燃える様子を見ているが、ロスアンゼルスはドジャーススタジアムもあり、そこにも一応火は迫っているわけで、ハリウッドも近いわけだ。

ひょっとすると、ひょっとして、ハリウッドもドジャーススタジアムも燃えると、サンタモニカの街が燃え、ハリウッドの大スターの大豪邸が燃える以上にショックかも知れないな。

大谷翔平も多くのドジャースの選手も、拠点を失うわけだ。



そんなことを考えながら、まるで春のような陽射しのテラスから庭を眺めていると、次々とウクライナ地区の何万人も失われた命のことが思い出されるわけで、本当に世の中は、天災と人災だらけの不幸が世界中で巻き起こっているわけで、南の小さな島宮古島はまだまだ幸せがいっぱいで、太陽もいっぱい、もう言うこともないなと思うわけだ。

出来たらもうこれ以上、高層のビルの建設をやめれば大満足だけどな。

じゃあな。



2025年1月13日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



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