想像の世界(2066)渋々ガリレオもそれに従ったが、”それでも地球が回っている”、と呟いたようだ。


想像の世界(2066)渋々ガリレオもそれに従ったが、”それでも地球が回っている”、と呟いたようだ。



俺は、昨夜まで昔々の少年の頃から、今までずっと哲学の祖はアリストテレスとばっかり思って生きてきたのに、つまり万物は流転するとアリストテレスは言ったのだが、はるかに彼より何百年も早く、紀元前500年前にピタゴラスは、”万物は数である”、と言ったようだ。

更にガリレオ・ガリレイは宗教裁判にかけられたが、つまりその頃の宗教では、ガリレオなどの一流の学者よりもキリスト教の教えの方が上だったわけだ。



それで、ガリレオ・ガリレイの地動説は、太陽の周りを地球が回っていると言ったが、それは間違いで、宇宙の中心が地球ではなければ困るわけで、神がまず、”光あれ”、と光を作り、次に地球を作ったわけで、宇宙の中心は地球であると宗教では教えていたんだ。

それで渋々ガリレオもそれに従ったが、それでもそっと、”それでも地球が回っている”、と呟いたようだ。



でも、地動説もガリレオは1500年代に、地球が太陽の周りを回っていると言ったわけだが、コペルニクスは100年ほど前の1400年代には同じことを言っていたらしく、更に230年頃には、既にアリスタルコスは、やはり地球が太陽の周囲を回っていると言っていたようだ。



ま、どっちも俺たちには昔々の話だが、このように、哲学も天文学も、数学も科学も、それらの全てを考え出す学者の知恵によって、世の中は進歩、発展、進化してきたわけだが、俺も4歳の頃のガキの頃に、既に大人は信用出来ない卑怯な人が多いと分かっていて、一番期待していた学校の先生が、小学校入学と同時に、みんなと同じことをしなさいと、俺に50音の、”あ”、から書く練習をやれと言い、数字は、”1”、から練習するようにと強く言い、つまり、勉強学習のすべてを言ば強制するのだ。



その頃の俺は、7歳では既に小学5年ぐらいの知識は、4歳頃からの毎晩の学習を遊びとして覚えていて、既に小学5年生までの学習は全て終わっていたのだ。

だから、”あ”、からみんなと同じように練習するなんていうのは、もう強制される全く無駄な苦痛そのものだったわけだ。

この、みんなと同じことをしなさいとの強制により、幼い俺は知識学問は無駄だと悟ったのだ。



おかげで、その後はもっぱらパイナガで遊び、自然の全てが俺の先生となったわけで、後は学校の先生はすべて無視してもいい存在になっていて、後は小説などの物語を読むのを趣味にした、いわば文学少年にはなっていたわけだ。

せいぜい目からも耳からも学校の勉強は飛び込んでくるので、高校までの学習はしなくても大学の薬学ぐらいは合格出来たわけで、薬学を選んだのは、単に美しい鬼ババアの母が、医学と薬学ならば学費も出してくれて、仕送りもしてくれるわけで、一番簡単なのは薬学で、ほぼ記憶力だけで進級出来たし、数学だけはカンニングをしたわけだ。



おかげで、すんなりと3年生までは進学したわけだが、その間は毎日楽しくてしょうがない東京での暮らしが、青春真っ只中だったわけだが、ま、学年で一番不真面目な俺だが、留年してしまった古原亨や、山角隆之よりは、少しは知恵は上だったわけだ。

ま、古原亨は福岡博多で幸せに暮らしているが、山角はどうやら熟年離婚をしたらしくて、電話番号まで変えてあるので、現在は行方不明と言うわけで少し心配だ。



ま、俺は30代の半ばに離婚して、すぐに再婚出来たのは幸せだったわけで、もう40年以上になる。

万物は流転すると言ったのはアリストテレスで、その通りと思うのだが、そんなことは幼い俺でも分かってはいたような気もするわけで、ただ哲学とは縁のない幼い子供の俺は、物事を言葉にすると言う術を知らなかったのだ。



今年は80歳になるが、何度考えてもさっぱり分からないのが、この地球も宙に浮いていると言うことだ。

そして地球が宙に浮いているのに、すべて下に落ちるのを万有引力と言うわけで、ま、物が下に落ちるのを引力と思ったニュートンの思いつきは偉いと思うが、その後の電波、磁力、重力…、もうすべての発見の雰囲気は何となく勉強しない俺でも感覚で感じてはいるわけで、その感じている感覚が分かるだけで、馬鹿ではないと、俺は自分の事はアホだけど馬鹿ではないと思っているわけで、世の中には馬鹿な欲張りがゴロゴロいるわけで、その最たるものが詐欺師であり、泥棒と言うわけで、その中でも一番嫌な野郎が、悪知恵のある知能犯と言う奴等だ。



ま、政治家は、大体そういう奴が多いのは情けないがね。

そろそろアルクラへ行く準備をしよう。

アルクラへ行ってきた。

今日のリハビリ担当は深田稔だった。



稔と奥さんはアメリカで出会ったらしく、子供は2人いて、宮古島出身の為に宮古島に帰ってきたようだ。

遠い異国の地で恋に落ちたなんて凄いロマンで、俺と直美も14歳も年の差があるのも凄いロマンとは思うが、アメリカで出会ったなんて想像も出来ないぐらいだ。

奥さんは可愛いようだし、稔もハンサムだし、40そこそこの若さだし、言う事はないな。



ま、間もなく俺は80歳になるが、心は高校3年の18歳で今も青春のつもりだ。

今日は快晴で、海は青く美しく見えた。

風がちょっと強くて冷たくて、家に着いた時は流石にホッとしたな。

オープンカーのセニアカーでのドライブも、やがて暖かい日が来るだろう。

じゃあな。



2025年3月21日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



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