想像の世界(2063)あえて言うならば、俺も直美も偏差値は45だから、ま、一応人並みではあるわけだ。


想像の世界(2063)あえて言うならば、俺も直美も偏差値は45だから、ま、一応人並みではあるわけだ。



俺は昭和大学の薬学部だから、一応アホと思っているが、勲兄さんは徳島大学医学部だから偏差値45.0から62.5で、60を越えるとかなり優秀らしい。

ま、真面目だったから60以上あったんじゃないかな。

ちなみに直美は41.0から45.0だから、俺とどっこいどっこいだな。

最低40があったので、アホだけど馬鹿ではなかったわけだ。



ちなみに慶応は57.5〜72.5、早稲田は65.0〜76.0で、俺は慶応や早稲田はアホだと常々思っていたのだが、昭和大学並といつも思っていたが、今からは見直さなければならないな。

慶応大学を作った福沢諭吉は天才だったわけだ。

うーん、見直しだ。



ま、もともと俺は、このような数値は全部無視するタイプではあるがね。

ちなみに、あえて言わせてもらうなら、小学校までは俺が全琉一、つまり沖縄では1番成績は1番だったし、大人になっても、今度は好きでもなかったし、やりたくもなかった商売だが、妻の為、妻の父の為と思って、商売、企業を沖縄一にして、それぞれ大金持ちにはしたが、裏切られて無一文のド貧乏になり、恨みを返す為にもう一度巨大企業を作ろうと思ったが、そんな事は全て徒労とつくづく分かったので、昔のアカンバまーちゃんに戻って、自由にのびのびと、のんびり暮らすことにしたんだ。

それが、今の居酒屋暮らしと言うことだ。



強いて、あえて言うならば、俺も直美も偏差値は45だから、ま、一応人並みではあるわけだ。

アホと思っていた早稲田が65〜76の偏差値があったのは、あの馬鹿な仲宗根国夫の母校だし、これからは少し見直してあげようか。

それにしても、まったく勉強なんかしない俺が、コザ高校では2位で、一生懸命勉強して生徒会長までした国夫は5位で、やっぱり偏差値も似たようなもので、大して信用出来ないと俺は思うんだ。

ところで加持さんの偏差値はいくつ?、ん?…



ま、馬鹿な国夫の、早稲田の偏差値にはびっくりしたな。

直美も、薬学部ぐらいは合格出来るわけだ。

ま、医学も薬学も安定しているが、金が儲かったのが徳洲会ぐらいのもんで、それでも徳田虎雄は大病を患い早死にしたのだから皮肉なもんだ。

徳洲会を作るよりも、長生きするのが勝ちだな。



と言うわけで、俺も寿命は60歳と思っていたが、今は110歳まで生きるつもりだ。

あと30年、ま、長いようだけど、半身不随になってからでも12年目を迎えるわけだ。

30年も、アっという間に来るわけだ。

光陰矢の如し、月日の経つのは早いものだ。



兎に角、福沢諭吉が偉い奴だったと改めて見直したもんで、でも、やっぱり尊敬できるのは聖徳太子ぐらいのもので、厩戸の前で生まれたので、厩戸皇子というわけで、イエス・キリストと似ているんだが、ま、似たようなもんだと思う。

どっちにしろ、今は厩戸皇子と言う日本人はほぼいないわけで、やはり後の人がつけたと言う聖徳太子という名前が俺も好きなわけだ。

17条憲法は、和(やわらぎ)を以って貴しと為す、しか覚えていないが、大和の国、やまとの国と日本のことを言うのは、やっぱり日本人には和、つまり、やわらぎが一番似合うわけで、義務教育の9年間の間だけでも、せめてすべての先生は、生徒に和の心、やわらぎの精神をしっかり伝えて欲しいものだ。



和を以って貴しと為す

うーん、いい言葉で、日本人にはぴったしだと思うんで、世界中が和の心で交流し、誰とでも全員みんな仲良くするのがいい言葉で、昔は宮古島の外人は全員中山(ちゅうざん)に集まったものだ。

愛と感謝が中山(ちゅうざん)のモットーで、34年続いているのも、和の心、愛と感謝のおかげだと思うんだ。

な、加持さん。

じゃあな。



2025年3月18日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



同じカテゴリー(想像の世界)の記事

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。