想像の世界(2062)ところで、因幡の白兎をやった池村勝子は元気かな。


想像の世界(2062)ところで、因幡の白兎をやった池村勝子は元気かな。



俺は、小学1年生の時に、昔あったオグデン会館のステージで行われていた演芸会で、大国主の命をやって因幡の白兎を助けたものだ。

おかげで先生の言うことは全て無視する一番の悪ガキだったのに、これが無茶苦茶暗記力が良くて、一切勉強しないノートも一切取らない悪ガキだったのに、学校の授業は一度耳にしたり目に入ったりしたらすべて暗記してしまったので、当時沖縄一だった平一小学校で一番、つまり沖縄で一番成績のいい悪ガキのボーチラー、ワンパクで、休みの時間と放課後は、もう平一校の同級生のヒンジムン、悪ガキの、お山の大将で、毎日女子校の裏で遊んだり、数々の遊びを考え出す天才だったわけだ。



5歳の頃に初めて行った、当時はうっそうとしたヤラブの森に囲まれていて、世間の人の目からは隠されていたパイナガマを見て、あまりの美しさに仰天したものだが、その日からパイナガマの、美しい白い砂浜の白浜と海が俺の楽園になったが、何故か当時は俺がパイナガマで遊んだのは、神屋内界に俺と同じように住んで暮らしていた、信坊、ヨシ坊たち一期後輩ぐらいで、学校の悪ガキ共には、この美しい浜は秘密にしていたが、ある日、超大型台風が来て、風速79mで風速計も吹き飛び、壊れて、それ以上は計測出来なかったが、その時に、あのパイナガマを隠していた、うっそうとしてヤラブの森は全て崩れて、なぎ倒されで、パイナガマは丸裸になり、誰の目からもさらされて、そして今の形になってしまったのだ。



今も平良の街に隣接する唯一のビーチとして、かなり賑わっているが、昔の美しいパイナガマの片鱗はあるものの、ヤラブの木はもう1本もないのだ。

大国主の命は、国津神と言われるわけで、スサノオの孫なので、神武天皇とはいとこのようなものであり、神武天皇は日本の初代天皇だが、曽祖父がニニギの命であり、その人に天照大御神から、八咫の鏡などの三種の神器を授けられたようだが、それが伊勢神宮には収められているようだ。



ま、俺は小学生の演芸会で大国主の命のをやったおかげで、未だに天皇家には親近感があり、美智子さんが結婚した時、その余りの美しさにびっくりして、それまで宮古島一の美女と言われた鬼ババアの母、光子が日本一綺麗な女性とは思っていたが、美智子さんのあまりの美しさにびっくりして、昔、美智子さんが宮古島にも来島した時に、中山(ちゅうざん)の前を通った時は、行きも帰りも2回見送って感動したものだが、今は雅子さんと愛子ちゃんのファンで、美智子さんからはあまり可愛がられてないので、俺が昔の美智子さんを見た時の感動さえ、思い出すのも辛い気持ちでガッカリしてしまうわけだ。



昔の婚約した頃の美智子さんとは別の、日本で一番知的な美しい女性として、独特の感動を日本国に与えた雅子さんの、あの知的な美しさは、あの笑顔の美しさに、世界中が認めている知的な美しさと美しい笑顔で、言語は日本語を含めれば6カ国語を自由に操って、世界の要人や幼児たちとの嬉しそうな笑顔の会話には、俺も毎日魅せられているわけだ。

そして、雅子さんを5年もかかって射止めた天皇の優しさには、今も俺は感動しており、愛子さんが生まれたことも日本の素晴らしい財産であり、俺も小学1年生で大国主の命をやって以来、天皇家にもずっと親近感は持ち続けているわけだ。

ところで、因幡の白兎をやった池村勝子は元気かな。

彼女も80になるわけだ。

うーん…じゃあな。



2025年3月17日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



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