日本の子供の行方不明が、1115名いるらしい。
何も昔々の話でなくて、これは昨年、2024年の話で、しかも9歳以下の子供の話だから、しかも、分かっているだけでは、それだけいると言う話で、実際はもっと多いかも知れないわけで、しかも9歳以下での話で、俺のように、昔アフリカを目指して家出したような、18歳の悩める青春の話などではなく、9歳以下とは、やはり悪い奴による誘拐だろう。
それが、1115名も1年間で行われているなんて、大体的に大騒ぎするかと思えば、せいぜい一地方で報道されるぐらいのようで、俺も昨夜まではまるで知らなかったのだ。
それにつけても、俺も髭も伸びていない18歳の青春の家出は、アフリカに辿り着くまでに、悪い奴らに殺されていた可能性もあったわけで、それを思えば、自発的な家出でも悪い奴等が世界中どこにもいて、年中金になることを考えて蠢いているわけだ。
うーん、”蠢”、春が3つで蠢くになるのは、やはり春は悪い虫もあちこちでうごめくのだろう。
俺が蠢いたのは、18歳の2学期の始まる日だったけど、家出の前も、小学校に入学して以来ずっと、学校の授業は知らぬふりの無視をしてきたわけで、それでも一応目から耳から、毎日の授業の声や、黒板の文字が飛び込んでくるので、取り敢えず学校に行っていた間の成績は、まるで勉強はしなくても、一応試験の前の日にざっと教科書に目を通すだけで、クラスでは常に1番で、学年全体でも2番だったわけで、流石に1ヵ月あまりの家出の後には、その目から耳から飛び込んでくる情報もなかったわけで、多分学年10位ぐらいには落ちていたと思われるが、それでも一度は英語の試験で学年1位になったこともあり、それは家出前のコザ市の周りにはいつも米国の兵士が蠢いていて、おかげで当時は俺もブロークイングリッシュでペラペラ話していたもんで、一応、コザ高校一の悪ガキ、ボーチラだったので、よくその米国の兵隊に話しかけて、チューイングカムなども貰ったりもしていたわけだ。
おかげで、多分その頃の沖縄では、一番米国の兵隊と話をした子供だったじゃないかなーと思うわけだ。
19歳以降、今日までは米国人とも話をしたことも一度もないので、英会話もほとんど覚えていないし、ま、沖縄方言は、かろうじて直美との会話で少しは使っているので、今でも、昔のコザ市の友人たちに会えば、一応ペラペラと方言でしゃべったりするわけで、残念ながら、昨年がコザ高校の最後の同窓会だったが行けなかったのだ。
そして、宮古高校の最後の同窓会は、昨年は宮古島でなく那覇市で行われたので、半身不随の俺は一人での旅行はまるで無理なので、じっと宮古島で行くのを我慢していて、毎日その招待状を眺めていたものだ。
ま、高校3年の2学期が始まる日まではコザ高校だったので、同窓会の招待状が来るし、家出の後は宮古高校に編入したので、卒業は宮古高校で、やはり招待状が来るわけだ。
高校3年までは167cmで、それでも当時クラスの男子25名中3番目に背が高く、その後も一応伸び続けて、一応20歳のときには169cmまで伸びたが、残念ながら170cmには届かなかったわけだ。
ちなみに楠田枝里子は170cmで、俺よりも1cm高かったわけで、ヒールを履けば俺なんか見下ろされる背の高い人になるわけで、俺が一番好きな女優の杏は174cmで、徳洲会のヘルパーの下地智子が174cmで、俺よりもはるかに背は高いが、夫は168cmぐらいと言うから、逆に若い頃の俺の方が1cm高いわけだ。
ちなみに、マスク越しの美智子さんは杏によく似ているわけで、おかげで俺が一番好きな背が高い女優では、ランキング1位のわけだ。
もっとも、好きなヘルパーランキング1位は、佐良浜の直美で、2位が徳洲会の下地美智子のわけで、みんなヘルパーは親切な人達ばかりで、やはり前泊直美が身内の女のように至れり尽くせりで、その上よくお土産にお菓子を持ってきたり、挙げ句の果ては、パイナップルまで持ってきてくれるようだ。
うーん、嬉しさ100倍ではあるが、ただでヘルパーをやっているようなもので、時々心配にもなるわけだ。
ちなみに、今もチョコレートが、どっさり冷蔵庫の中にはあるわけで、これも前泊直美が持って来てでくれたものだ。
うーん、あとで3つ程隠れてつまんでみよう。
何せ、味噌汁を出して直美はまた眠ってしまったし、昼までは何もないわけだからな。
でも、俺はチョコレートと言う秘密兵器があるわけで、心配ないわけだ。
ちなみに学年で一番背の高い女の同級生は163cmだったわけで、もし170cmの女性の生徒がいたら憧れる以前の問題で、脅威さえ感じたかも知れないな。
下地美智子の夫は、勇気のある男と思うな。
じゃあな。
2025年4月19日
人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…