西暦96年に、最初のヨハネの黙示録は書かれた。
つまり、イエスを直接知る弟子が書いた最初の聖書が、多分ヨハネの黙示録じゃないかなーと思うのだ。
俺は聖書をなくす度に買っているが、聖書の起源は、おそらくその西暦96年だと思うし、その後の何百年間で出来上がったわけだ。
ま、その他にもキリスト教には奇跡と呼ばれることが、実際に起こった奇跡として書かれているが、俺はそれがすべてを眉唾だと思って読んでいるわけだ。
実際に今も新宗教は起こり、その中では奇跡も何度も起こっているわけで、そのすべては眉唾な話だが、信じる者もいて、つまり彼らが信者になるわけだ。
さて、ロシア兵が90万人戦死したとも言うが、いや、少なくとも9万人死亡しただけだと言う。
うーん、どっちにしても第2次世界大戦では日本人は300万人以上は戦死したと言うし、最後は原子爆弾により一瞬で20万人近くが殺され、生き残った広島、長崎の市民たちはその後遺症に苦しみ、間もなく死んでいったことを考えると、もうその悲惨さは、ウクライナやロシアどころでもないわけで、ガザ地区でもパレスチナ市民が何十万人も殺されているわけだが、このことを考えると、イスラエルの民に神が約束したと言うカナンの土地は、エジプトの川の流れる場所からユーフラテス川の流れる場所までだったと言うが、これも、どうやらユダヤ人のアブラハムに与えられた約束の土地らしくて、つまり証明できるのはアブラハムだけだから、イスラエルの民と言う、ユダヤの民の証明はかなり怪しいもんだ。
このように、すべての宗教はその信者が語る証言が真実と言われるすべてであって、つまり宗教上はすべてまやかしの信心によるもんだから、やっぱり一人一人が自分だけの宗教を持つ方がいいと俺は思うわけだ。
だから何年に一度、神に何かお願いをする時は、俺は、”誠の神様”、と俺の神にお願いするわけだ。
キリスト教の聖書は、西暦96年と書かれたヨハネ他多数の人々が書いた、いわば聖典なわけだが、俺は新約聖書、旧約聖書の両方とも、よくできた小説、文学書として時々読んでいるわけだ。
ま、古い約束、旧約聖書、新しい約束、新約聖書と言っているのはキリスト教だけの話で、イスラエルの民はユダヤ教を信じるだけだ。
それに嘆きの壁の地はエルサレムにあるし、イスラム教の聖地はサウジアラビアのメッカで、ここはムハンマドが生まれた場所だ。
ユダヤの神がヤハウェイと呼び、これはキリスト教も同じであり、更にイスラム教ではアラブの言葉でアッラーと呼んでいるだけで同じ神であり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神は同じだから同じ宗教であり、ただ出来た順番が違うだけだ。
神様はひとつで同じなのに、宗教としては違うわけで、ま、いわば旧約、新約、超新約と言うわけだ。
だから超新約のイスラム教の方が、今は一番多く信じられているわけで、イスラム教は有色人種に信者が多いわけだ。
ま、キリスト教の聖書は西暦96年のヨハネの黙示録が最初だと思うが、ユダヤ教は紀元前の話で、エジプトの王ファラオは、ユダヤの子は皆殺しにするよう命じたが、ただ一人の子供だけが葦船に乗せられて助け出され、その子が育ってモーセとなり、ユダヤの民、パレスチナの民、つまりイスラエルの民をエジプトから引き連れて脱出したのが、出エジプトと言うわけで、その途中に神から与えられたのが十戒と言うわけだ。
どっちしろ、エホバの神やヤハウェとイスラムの神アッラーは同じであり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神はひとつであるから、本来は同じ宗教なんだけど、それぞれモーセ、イエス、ムハンマドが起こした宗教としての違いがあるだけだ。
そして、それぞれ彼らの生まれた土地が、エルサレムだったり、エジプトだったり、メッカだったりと、エジプトからサウジアラビアまで広がっているだけだ。
今や何十となく宗教はあり、多分何百もあるんじゃないかな。
ひょっとしたら何千、何万もあるかも知れないわけで、それだけの教祖がいるわけだ。
ま、信じるものは救われると言うのだけで、俺にはただ誠の神様がいるだけだ。
じゃあな。
2025年3月13日
人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…