想像の世界(2099)兎に角、純名里沙と言う、きれいな女優がいたのを知ったのは良かったよ。


想像の世界(2099)兎に角、純名里沙と言う、きれいな女優がいたのを知ったのは良かったよ。



目が覚めると、純名里沙と言う名前が浮かんでいたので、見たことも聞いたこともない名前なので、果たしてこのように、そんな名前の人がいるのかなと調べてみたら、宝塚出身のきれいな女優がいたのだ。

でもその写真を見ても、宝塚なんて華やかな世界は俺には全く縁のない世界だし、脳出血で倒れて以来、12年間もテレビ番組を見たこともないのに、純名里沙って名前が浮かんできたのは、俺にとっては世にも不思議な話だ。



今日は12年振りに、きれいな宝塚の女優も見たし、テレビタレントさえ知らないのに不思議だが、一体どんなところでそんな名前を覚えたんだろう。

兎に角、純名里沙と言う、きれいな女優がいたのを知ったのは良かったよ。



さて、三崎優太の、三崎未来ホールディングス株式会社は発足はしていて、大きな立派な事務所も出来て、カッコイイ高級なバイクも陳列して飾ってあるが、場所は遠いし、三崎優太はレースにも参加するようで意気込んではいたが、一体そんな暇はいつ出来るのかな。

3億円の豪華マンションも買って住んでいるが、もうやること成すことしっちゃかめっちゃかで、俺は面白がってはいるが、そんな社長は信頼出来ないだろう。



ま、俺の居酒屋経営も似たようなものではあるが、俺の愛する妻が女将さんとして頑張っているので、俺はまず大丈夫だけど、良き伴侶、つまり愛してくれる、しっかり者の妻のいない三崎優太には、そんな女性もいないしなー。

今年は36歳になるわけで、3月26日生まれだから、もう36歳だ。



俺など最初の離婚が36歳だが、すぐに愛する女子大生が現れて、結婚したいと言い、しかも3ヶ月後に卒業するので、卒業したら嫁いで、”私が誠さんの面倒を見る”、と言うので、まさかとは思ったが、マズガーと、ひょっとしたと思ったら、本当にその通りに、まずSONY化粧品の美容部員で13万円稼いできて、当時の女子社員の月給が大体7〜8万円だったので、13万円は高給で、そこそこ贅沢出来る月収なので、俺はヒモになって、毎日石川ビーチで、当時流行もしていなかったウィンドサーフィンに夢中の暮らしとなり、半年もしないうちに、今度は資生堂が、2名の追加の美容部員を募集しているので試験を受けると言うが、80名あまりが試験を受けていたと言うので、絶対に無理だと思っていたら、その2名に合格したのだ。



青天の霹靂で、これにはびっくりしたが、給料も1万円アップの14万円で、その後、資生堂83名の美容部員の中で売り上げはトップで、もうびっくりするわけで、俺は逆玉の輿をつかんだわけだ。

あれから45年経つが、こうして半身不随の今は、給料こそくれないが何不自由ない暮らしで、半身不随のヒモ暮らしだ。

ま、持つべきものは、愛してくれる伴侶だな。



と、言うことで、三崎優太も、今は何不自由のない暮らしのようだが、36歳で独身なんて、俺なんか36歳の時は、美しい14歳も年下の若妻がいて、しかも稼ぎがいいので、俺は毎日ウインドサーフィン暮らしで、直美は日曜日には、石川ビーチの砂浜で俺がウインドサーフィンをするのを眺めていて、そして毎日ケラケラと笑いこぼれていて、俺達は幸せそのものの生活が今も続いて、もう45年も経つのだ。

そして石川ビーチから、今は宮古島での居酒屋生活と言うわけだ。

俺は故郷の宮古島に帰ってきて、2年間で無一文から300万円貯めて居酒屋を作り、直美を呼び寄せて女将さんをやってもらい、またヒモも暮らしを始めたわけだ。



つまり、サンエーを経営する何十倍効率のいい暮らしというわけで、前の妻、折田節子は、300坪の敷地に、俺が作った豪邸より一段更に上の100坪の豪邸に1人淋しく住んで暮らしているわけで、何百億円あっても独身じゃ寂し過ぎて、なまじ、あり余る金は、ほぼ無駄な紙切れと言うわけだ。

もっとも、公仁と典久をサンエーの株主にしたのはいいが、公仁も典久も二人とも淋しい独身で、しかも、もう50歳はとっくに越えているので、やはり何十億円の金も、無駄金と言うわけだ。



それを思うと俺も寂しくなるわけで、公仁8歳、典久7歳で別れて一度も会ったこともないが、幸せなのは末っ子の浩子だけで、ニューヨークで22歳からずっと住んでいて、今は玉の輿の暮らしと言うわけで、数年前に沖縄に帰っていたらしく、その時に勲兄さん達に会いに来たと言うので、その時の写真を公子姉さんが送ってくれたのが、今もずっと目の前には貼られていて、孫のシキと2人で笑顔で写っているのだ。

ま、今もきれいだけど、スティーブと結婚した時の若い美しい姿が、我が家の壁には貼られていて、幸せそうな2人が、いつも一緒と言うわけだ。

じゃあな。



2025年4月23日



人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠の思い出 memories
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…



同じカテゴリー(想像の世界)の記事

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。